Facebook 2020年1月2日 世代のつながり・命のつながり

お正月の橋板は、大津市膳所ときめき坂のベティブーフ・永野さんデザインの新春かざり。永野さんは40年以上前から、有機栽培のお花類を全国に注文をして、こだわり花屋さんを経営してきてくださいました。今日は比良山系をバックに、後方には比叡山の橋板。天台薬師の池である琵琶湖にふさわしくモウソウチクの花入れとハランで飾らせていただきました。琵琶湖水神の薬師如来さまもきっと喜んでくれているでしょう。1月2日。

反対側には近江八幡の山やま、かつて琵琶湖上を行き来する丸子舟の舟乗りさんからは鶴翼山(かくよくさん)と呼ばれていました。ちょうど鶴が翼をひろげたような形からの名付けでしょう。その左につながっているように見えるなだらかな山は沖島です。頭山と尾山。島では、頭山には聖なる神社を、尾山には火葬場をしつらえました。お墓も尾山側にあります。沖島の成人式の「さぎっちょ(左議長)」の火祭りは1月の日曜日、今年はいつかしら?

1983年の1月、私がはじめて沖島に渡ったのは、さぎっちょの時、息子たちは長男が8歳、次男が4歳でした。その時の写真さがすの?数万枚の写真資料の中から、いつか探しておこう!その次男の長女の小4の孫娘が今、沖島にいきたがっています。さぎっちょにつれていこうかしら。世代がつながっています。

また大学の先輩の伊藤隆さんが最近、1969年12月8日に比良山にのぼった時の探検部仲間の写真をある雑誌に紹介下さいました。ふりかえるとちょうど50年前。海外探検調査にむけて毎月のように比良山や北山に訓練をかねて登りました。地図の見方からコンパスの使い方、写真の写し方など先輩から教わりました。そういえば女人禁制をやぶっての入部。女性ひとりでした。その後のアフリカ調査では先輩からの訓練は多いに役立ちました。

まさか50年後にこうして比良山のふもとに住むことになるとは!想像しませんでした。不思議な出会いです。あちこち飛び火話で失礼しました(微笑)。

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