九州ダムものがたり(その2:荒瀬ダム撤去を求めた理由はアユの減少と洪水の激化)。8月24日、長いです(1900文字)。
(その1)で記したように、荒瀬ダムは、2002年(平成14年)12月、潮谷義子知事の時代に一端撤去が決まります。この撤去の背景には、次のような地元坂本村と熊本県議会のやり取りがあったことがつる詳子さんの記録からわかります。まず2002年6月に「アユの減少」「水質悪化」「水害被害の増大」などを理由として坂本村川漁師組合がダム撤去を求める運動を始めました。
このダム撤去の請願を、2002年9月20日の坂本村議会が全会一致で採択。9月の熊本県議会を経て、自民党県議団が坂本村で意見聴取を行い、自民党のプロジェクトチームが11月28日にはダム撤去方針を決め、12月5日にはダム撤去を前提とした10項目の提言が出された。12月10日には潮谷知事が「発電事業を7年間継続し、その後ただちに撤去に入る」方針を答弁。この間の坂本村議会と熊本県議会のやりとりは大変スムーズに見え、「請願」という手法で住民意見が村議会を経て県議会を動かし、知事の決定につながったことがわかる。
今回つるさんが紹介してくれた本田進さん( 昭和9年生、85歳、坂本地区で食料品店を経営)からは昭和20年代のダム建設からその後の水害問題など、大変興味深いお話を伺うことができました。まず荒瀬ダム建設の動きが昭和26年頃に出された時、地元としては鳴り物入りで受け入れたという。ダムができればダム湖に観光客がたくさん来て地域がにぎわうという触れ込みだったという。当時坂本地区には製紙工場があったが、ほかに仕事場も少なくダム工事で仕事が増えるのも魅力だったという。
本田さんはそれまで北九州の工場で仕事をしていたが、ダム建設期間には確かに地元に帰って仕事につけたという。しかしダムが完成すると建設の仕事はなくなり、また観光と言ってもダム湖を見るだけではたいして人も集まらず、一時ボート遊びもあったが、観光で大きくにぎわうということにはならなかったという。
それ以上に問題だったのは水害被害の増大だ。ダムができるまでも確かに川が溢れて洪水が家にはいってくることがあったが、冠水しても、水はきれいで家を洗ってもらうような感じで3日位で水がひいたという。ところがダムができてから、道路も家もヘドロで埋まり、また泥水が引くのに10日もかかり水害被害が増えたという。しかしこの被害を県のダム管理者に訴えても取り合ってもらえなかったという。(昭和40年7月3日の「洪水痕跡」が坂本村中心部の電柱にあり。水害被害時のヘドロはつるさん紹介の資料にあり)。ダム放流時の振動被害も大きかったという。
またアユも減り、それまで坂本村でも多くの川漁師がいて、アユに加えてウナギも多く、ひと夏でサラリーマンの1年分の所得を稼ぐ漁師もいたという。またホタルも川全体を照らすほどたくさん出て、ホタル列車が運行されるほどだった、という。
「水害被害」「アユの減少」「振動被害」などを問題として、昭和43年頃には地域の先輩たちが「荒瀬ダムを考える会」をつくり、被害増大を法的に訴えるために弁護士も頼んで動きだした。しかし、当時の運動リーダーには、会社に勤めている人にはその会社から、また商売をしている人にはその商売組織から圧力がかかり、ダム撤去の運動は下火になったという。
平成にはいって、川辺川ダム反対運動に連動して 、まず坂本の川漁師たちが動きだして、坂本村議会、熊本県議会、そして潮谷知事の判断につながった。
荒瀬ダム撤去の経緯を振り返ってみると、本田さんの証言にあるように、地域で暮らす人びとの生活実感に根差したダム撤去への強い想いが撤去実現への原動力となったことがわかる。特にダム建設前、アユやホタルが溢れるほどいた豊かな川の生態が、ダム建設により失われるだけでなく、水害被害も深刻となり、同時に鳴り物入りで期待をもたされた観光振興もふるわない。
そのような、ダム建設による地域生活の直接的被害を経験する中で、ダムを撤去するべきであるという揺るぎない信念を持った地元住民の思いが村の議会をうごかし、県議会もうごかした。しかも昭和40年代には圧力をうけてとん挫したダム撤去運動も、平成にはいって上流部の川辺川ダム建設反対運動の流れに呼応して、地元での願いが実現したことになる。
確かに荒瀬ダム撤去により球磨川本流や最下流部の八代湾の生態系はかなり改善されたが、荒瀬ダム上流部10キロには、瀬戸石ダムがあり、このダムの影響もあり荒瀬ダム撤去による自然再生にはまだまだ限界があるという。
瀬戸石ダムは電源開発株式会社が管理する発電ダムであり、電源開発株式会社は、住民にとっても県よりももっと遠い社会的距離があり、瀬戸石ダムの撤去運動は荒瀬ダム以上の困難が想像されます。このことについて次に紹介したい。(写真は、つる詳子さんのpptよりお借りしました)。
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