Facebook 2019年8月22日 九州ダムものがたり(その1)

九州ダムものがたり(その1:荒瀬ダム撤去の政治的経緯と費用問題)。九州で進むダム撤去(熊本県荒瀬ダム)とダム建設計画(長崎県石木ダム)。「日本国内で最初の本格的なダム撤去」といわれる熊本県球磨川の荒瀬ダムが2017年(平成29年)に撤去完成。地元で永年球磨川を見続けてきたつる詳子さんたちに現地をご案内いただきました。

あわせて、長崎県佐世保市近くで利水・治水用途で計画され、この5月に地元住民の家や農地の強制収用の裁定がなされ、13戸60人の住民が窮地に陥っている石木ダムの建設予定地(こうばる地区)も訪問。「日本で最も必要性の低いダム」とも言われています。ふたつのダム地域の現状を数回に分けて報告させていただきます。8月22日。長いです(1800文字)。

荒瀬ダムは球磨川が八代湾に注ぐ河口部から約20キロ地点に、戦後の「球磨川地域総合開発計画」の一環として昭和29年(1954年)に完成した電力専用ダムで、建設直後の発電量は熊本県の当時の県内需要の16%を占めるほどでした。建設にあたっては119戸の家屋移転や漁業補償、木材運搬の筏補償、沿岸道路建設などを伴う大事業で、建設には延べ80万人の建設従事者が働き、12名もの犠牲者が出てしまったということ。

荒瀬ダム撤去の話を私が耳にしたのは、淀川水系流域委員会のダム議論が進んでいた2004年頃でした。ダムの建設寿命はコンクリートの耐用年数などから50年が目安とされています。同ダムが2003年に水利権更新を迎えるとともに、50年のコンクリートの耐用年数が近づき、また水力発電の必要性も低くなり収益も減り、当時の熊本県の潮谷義子知事は「清流を取り戻したい」という地元の声に応えて2002年12月にいったん撤去を決めました。

潮谷義子知事は、川辺川ダム建設に地元住民の対話集会を開くなど、住民意見を聴きながらダム計画の見直しを進めていました。私も2006年に滋賀県知事に就任して、2007年の国土交通省の「河川整備計画の基本方針」の審議の時に潮谷義子知事と同席することがあり、そこで「基本高水の決め方が科学的でない」と二人で同じ疑問を出したことを思いおこします。

ところが2008年に潮谷義子知事から変わった蒲島郁夫知事はいったん撤去案を撤回しました。理由は、撤去費用(約92億円)が存続費用(約87億円)を上回るとの費用問題でした。しかし、ダム現場の坂本地区やその下流の八代市では、ダム撤去を求める声が高く、2010年3月末で失効する水利権の更新手続きに必要な地元関係者の同意が得られない見通しが強まり、蒲島郁夫知事は撤去を受け入れざるを得ませんでした。しかし費用問題は解決されていませんでした。

一般に、大規模な施設を建設する時には、施設の利用料や利便性の経済計算から、「将来世代からの借金=起債」ができ、財政負担が先送りされます。しかし、すでに用途を終えた公共施設の撤去費用は積み立てがなされているわけではありません。原発の廃炉・撤去費用がほとんど計上されていないのと同じことです。

民間の場合、保有資産の価値は減価償却で撤去(除去)費用も含めて対応するのが原則ですが、自治体等の公会計では撤去費用の積み立てなどがなされません。撤去の場合は、その段階で費用を計上することになり、ダムのように巨大な構造物の場合、その費用の増大は自治体財政を圧迫するリスクが大きくなります。

仮に、今日本の一級河川にある、建設以来50年を超過している800以上のダムの撤去に、荒瀬ダムと同じような費用がかかると仮定すると、6~7兆円もの巨額の費用になります。国が補助金で支えても、自治体の負担は大きく、最終的には結局は税金による国民負担となります。荒瀬ダムの蒲島郁夫知事の財政難問題は今後、多くの自治体が直面する大問題です。

ちょうど2009年のその時、ダム政策の見直しを進めようとしていた民主党政権となり、蒲島知事は救われました。つまり国は、前原国土交通大臣による一括交付金の活用判断や、環境省の生物多様性復活補助金が出されることになり、国から16億円が補助され、蒲島知事は撤去費用を確保できました。

そして2012年(平成24年)からまる6年かけて、2017年(平成29年)にダム撤去は完成します(図あり)。撤去地の川べり、左岸と右岸でつるさんたちと写真を写しました。ではそもそも地元はなぜダム撤去を求めたのか、ダム建設の前と建設後の影響などを辿りながら(その2)で紹介します。

 

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