Facebook 2019年8月16日 台風10号、被害はありませんでしたか?

台風10号、皆さんのところでは被害はないでしょうか。琵琶湖岸、湖西はまた南風で、比良浜では浜欠けが起きてしまいました。橋板を設置する浜はゴミだらけ!ご近所と力をあわせて修復していきます。8月16日。


お盆の間は埼玉県本庄市の実家で両親の位牌に近況報告、東京での議員会館での資料整理と走りながら、埼玉県知事選挙の「おおのもとひろ」さんの応援で、南越ケ谷駅前で応援演説をさせていただきました。

大野さんは知事として必要な三つの重要な資質を備えているということ、強調させていただきました。①外交官、参議院議員経験を活かして政策の充実、②川口市長だったおじぃちゃんから受け継いだ政治家としての魂と地元愛、③アメフトで鍛えた体力と気力。住民に見えにくい県の仕事が普段の暮らしにいかに深くかかわっているかをお示ししながら、何としても投票に行って下さい、とお願いをしました。


埼玉の実家では、明治5年頃に建築された養蚕農家の母屋を兄が数年かけて耐震補強と屋根瓦の葺き替え等、大修理をしてくれました。お盆棚も昔のままに、ご先祖の位牌をあつめ、ホウヅキなどで飾り付けをしてくれています。今回の選挙の報告、今後のことなどを両親に報告しました。

母が濡れた桑の束を二階に担ぎあげていた階段はそのままです。階段のその一段いちだんに母の汗が滲みこんでいるようで涙が溢れます。早朝4時頃から真夜中まで、生きたお蚕さまに“桑くれ”をする母は、結核に倒れても「肺病やみはいらない」と祖父等からいじめを受け、実家に帰されました。明治民法的な男尊女卑の家制度の中で泣かされた母。

私が2歳半、昭和28年1月に始まる療養日記が2014年、家の大修理を決意した兄によって発見されました。1996年に亡くなった母がタンスの新聞紙の下に隠していた日記です。涙なしに読めません。母に限らず多くの農家の嫁がおかれた厳しい立場、この日記はいつか社会に出して、問題提起しなければ、と思いながら数年が経ってしまいました。

養蚕道具も兄が保管をしてくれていて、繭玉も一部黒くなっていますが、残されています。あの痛ましい戦争さえなければ、母もあれほどの苦しみを受けなかっただろうに、と思うとあらためて平和な時代に感謝しつつ、政治家としての平和の維持を母の墓前に誓いました。戦後74年の今こそ、あの戦争の理不尽さを次の世代に語りつぐ責任があります。

  

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