<台風19号被害の背景と今後の対策案:その3>
<最大の死者数がでてしまった福島県、その阿武隈(あぶくま)川中流部の本宮市訪問調査>
<浸水してしまった町の事業復活、経済復興に頭を悩ませる高松市長さんの声に、国としてどう応えたらよいのか?>10月26日。
10月12―13日の台風19号の影響で最も人的被害が大きかったのは福島県で、死者29名、行方不明1名となってしまいました。被害が最大となった理由は、阿武隈川(あぶくま)流域での河川の氾濫で郡山市、須賀川市、本宮市、伊達市、白河市などで幅広く決壊したためで、2階まで浸水した家屋も多くありました。10月26日段階で家屋全壊829戸、半壊424戸、床上浸水10287戸、床下浸水1526戸の被害となり、床上浸水の多さが生活被害の大きさを物語っています。
阿武隈川は暴れ川で、流域部は昔からの水害常襲地で、最近では1986年に「8.5水害」が発生し、1998年から約3年間で800億円以上の予算が組まれ堤防が改修されたが、それでも「100年に一度」という豪雨規模で上のような死者と浸水被害が出てしまいました。その中でも中流部の本宮市は阿武隈川本流が堤防をこえて水が溢れ、その支流の安達太良(あだたら)川では本流に流れ込む直前左岸の東北本線の線路沿いの堤防が切れ、街中が水びたしになってしまいました。(図1 朝日放送TVより)。
被害から10日後の10月21日、増子輝彦参議院議員の紹介で、本宮市の円谷長作市議会議員を紹介していただき、高松義行市長との面会アレンジもしていただき、また浸水地域を訪問し、泥出しや水洗い作業をなさる被災者の皆さんのお話を伺いました。実は、本宮市は、私の京都精華大学時代の教え子である柳沼宣裕さんの自宅も被災しており、柳沼さんも昔の同級生等を尋ね歩き、いっしょに調査下さいました。
高松義行市長のお話は深刻でした。高松市長は東日本大震災の2011年3月11日の地震と福島第一原発事故の放射能の影響とその復旧・復興で、過去8年あまり、まさに日々奮闘してきたが、今回の水害被害はその苦労を上回るものだと言います。本宮市の浸水は、12日から13日の真夜中で、死者7名のうち2名は病院関係者でボイラー作業に向かう途中の溺死ということです。また残り5名の方も真夜中の自宅での溺死で、お一人は40代の若い方で平屋の家屋で逃げ切れなかったということです。
今回の浸水地域は図2の紫色の線で示しましたが、本宮市が「150年に一度」という降雨規模時の浸水想定をしているハザードマップの阿武隈川左岸では、ほぼマップ通りの浸水となっています。右岸の高木地区は最近堤防を強化したので、今回の被害は免れたということ。浸水の最大の水は安達太良川の左岸の東北本線の鉄橋部分の堤防破壊が原因という。
この破堤地域の人たちに話を伺うと「もう商売を続けられない、廃業するしか」「これからどうしよう」。商店や工場経営者は途方に暮れています。高橋市長は、「3・11の時よりも、今回の水害の方が深刻だ。商売や工場など、続ける元気が失われてしまっている。そうでなくても高齢化して跡取りがいないところに追い打ちをかけられている。ここをどうしたらいいのか、市長としても必死で工夫しているが国の支援を何としてもお願いしたい」とおっしゃっていました。
実は柳沼さんは5歳の時に自ら水害に出会い、河川や人とのかかわりを学ぶ環境社会学をめざして、大学院で嘉田ゼミを選んでくれました。大学を終わってからも、淀川水系での河川レンジャーや水害史調査の経験を活かした町づくりの仕事をしてきました。柳沼さんの、水害被災の町復興にむけたビジョンを次に紹介させていただきます。