午前中の参議院法務委員会をおえて、午後大津市商工会議所140周年記念式典に参加。
明治12年10月24日に、当時の大蔵卿、大隈重信から設立認可がだされ、日本で7番目の商工会議所として発足。なぜ大津がそんなに素早く、京都や名古屋、横浜などよりも先に会議所が発足したのか?10月24日。
農業史を学んだ私の立場からみると、米経済が中心であった明治初期の大津の経済力の反映と思います。明治初期、米生産量は、近江は新潟についで全国二位。琵琶湖周辺平野にひろがる水田と山やまからの豊かな水、そこに、周辺の山やまからの下草、琵琶湖からの水草などの肥料、ぷらす干鰯などの商品肥料も投入できた近江の米生産力は日本有数でした。もちろん勤勉な農業者の技と知識も重要です。
その米を湖上輸送で大津港へ運び込み、京都や大阪の市場に出しました。その証拠に、江戸時代末期の大津の商業仲間の最大グループが米商人であり、また稲作の肥料である干鰯(乾燥イワシ)の相場は大津が全国の値段をひっぱていました。
また式典後には、大津市歴史博物館の木津勝学芸員さんが、古写真を使って、大津の町のなかで占める商工会議所の建物の変遷を中心に講演くださいました。木津さんの許可をいただき、明治初期からの商工会議所の写真資料など、添付いたします。また東京へとんぼ返り。
法務委員会での大臣への質問は31日、今から周到に準備しなければ、、、。