2月21日、参議院・東日本大震災復興特別委員会・派遣現地調査2日目目。朝、仙台市を出て宮城県山元町、福島県相馬市を訪問。駆け足でしたが、岩手県、宮城県、福島県の三県の大震災からの「創造的復興」をめざす皆さんにお出会いさせていただきました。ここまで復興するのにどれほど多くの方たちのお力がこめられてきたか、想像を絶するものがあります。関係の皆さんのご努力に感謝の思いが耐えません。(また長いです、すみません)。
一方で、道路や河川、堤防などのハード系の事業はかなり完成に近づいていましたが、人的被害と生活的被災からの回復はまだまだという印象でした。地元では、日本は地震大国、東日本の復興の経験を次の災害に活かしてほしい、という声もたくさんいただきました。復興特別委員会としての大きな任務をいただきました。
さて9年という月日の長さ。小学校1年生は中学校3年生になっています。岩手県、宮城県、福島県の三県の生活再建、特に住宅再建の状況を比較すると、岩手県ではこの3月でほぼ95%の方の住宅再建ができるという。宮城県ではほぼ100%という。しかし福島県では今だ県外避難者が31.000人、県内避難者は10,000人と、4万人をこえる方たちがふるさとに帰れず、苦しい生活を強いられておられます。言うまでもなく福島第一原発事故の影響です。
福島事故はまさに、大正時代に寺田寅彦が警鐘を鳴らした「文明災」です。地震、津波という自然災害からの復興は月日とともにどうにか回復できるのに、「天然の暴威による災害がその劇烈の度を増し」「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じ・・・檻おりを破った猛獣の大群のように・・・人命を危うくする」。
「創造的復興」という希望の魂を持たれる方たちにもたくさん出会いました。まずはは宮城県山元町で40代の若い人たちがふるさとに帰って、「一粒1000円」もする高級イチゴ栽培で大成功しているGRAグループ。意味は(general reconstruction association)、「総合的再生仲間」でしょうか?イチゴを柱に農産物の生産販売および輸出、加工商品開発販売および輸出、農業技術の研究開発、産地ブランド開発、新規農業者の就農支援事業、海外生産展開など、IT技術を駆使しての「農を核とした総合事業」です。
代表の岩佐大輝(いわさひろき)さんに、「GRAってまさにですね!」と開口一番申し上げたら「あっつそうか、いいですね!」と共感下さいました。感度が高い!そして笑顔が深い!副社長の橋元洋平さんも笑顔がステキ。おふたりは山元町での中学校の同年生(学校は違う)。高卒後東京へ出てITベンチャーを立ち上げた岩佐さん、大震災で農地がほとんど津波にやられてしまった地元に帰りボランティアを。
そこでお二人が出会い、元々イチゴ栽培が盛んだった地域性を活かして、イチゴ栽培に挑戦。洋平さんのおじさんのイチゴ栽培の「技術習得に15年かかる」と言われた技術を、温度、湿度、水分や栄養分や二酸化炭素濃度までデータ管理をして「勘の見える化」をする。生産生を上げるだけでなく、若い新規参入者を増やして、地域に雇用と元気、それに何よりも「誇り」を取り戻したという。日本国内だけでなく、インドや中東まで展開。「モノの援助ではなく、作り方の伝達」という途上国支援の原点も実践しておられます。
福島県では相馬市長の立谷秀清さんの復興9年、自らも被災をしながら、医師としての経験を活かした市長の仕事はいろいろ特筆できますが、何よりも親御さんを失った子どもたちに、大学卒業までの教育費を一人1000万円づつ、寄付金などを集めて準備したという。また被災後の子どもたちのPTSDなどの精神的ケアにも、専門家を数多く学校に派遣をして、手厚いケアをしているという。原発事故地元から相馬市への移住者の中には一人親家庭も多く、この点にも特別なケアをしているという。
特別委員会の青木愛委員長はじめ、復興庁の石田優統括官皆はじめ担当の皆さん、三県の担当の皆さんに大変お世話になりました。周到なご準備に深く感謝申し上げます。議員としての活動に活かしていかなければ、と決意をした2日間でした。
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