「琵琶湖周航の歌100周年記念音楽祭」の第2弾が、周航の歌の原曲を作曲した吉田千秋さんの生家がある新潟市秋葉区文化会館で開催。滋賀県からは小坂育子さん、石津文雄さんと3人で参加。作詞の小口太郎さんの生誕の地、長野県岡谷市の林新一郎岡谷商工会議所会頭もお見えで、3地域連携がだんだんに太くなってきました。音楽祭には新潟市の篠田昭市長、新潟県の米山隆一知事も駆け付けてくれ、最後のフィナーレを一緒に歌いました。7月9日(日)。(また長いです:微笑)。
音楽祭は、「ちあきの会」の新藤幸生さんたちが企画、秋葉区文化会館が主催。第1部、第2部とも登紀子さん主体の選曲でしたが、二時間歌いっぱなしの登紀子さんのエネルギーにはいつもながら感服です。100年の歴史にちなみ、100年以上歌い継がれてきたピアフの持ち歌等を楽しませてもらいました。地元の中学生たちに千秋が残した楽譜や自作の雑誌などの展示会場の案内や中学生の「お点前」もあり確実に次世代につなぐ工夫がなされています。
琵琶湖周航の歌の原曲となった「ひつじ草」が、千秋が20歳の時(大正4年)に掲載されたという『音楽界』の原本も展示されていました。また父親の吉田東伍が、体が弱い千秋の勉強のために購入してくれたという「エジソン型蓄音器」も展示され、舞台で登紀子さんの周航の歌を奏でてくれました。100年ぶりの音に感動です!
新潟の米山知事は昨年10月、泉田前知事の原発政策を受け継ぐという訴えで、原発推進の候補をやぶり当選。当選後もぶれずに「県民の安全を最優先し原発再稼働の議論の前に、福島原発事故の検証をしっかりと行います」と訴え続けています。実は米山さんと直接にお会いするのは今回がはじめてでしたが、私が謹呈した『知事は何ができるのか』の本をその場で読み始め、適格なご質問をなさるのには驚きました。大変な勉強家とおみうけしました。米山さんと私をつないでくださった佐々木寛さんや片淵奈保美さんともお会いできました。
新潟市の篠田市長とは、滋賀県が力をいれてきた「アール・ブリュット」(生の芸術)推進のための交流会などでご一緒したことがあり、また2007年の全国豊かな海づくり大会では滋賀県にお越しいただきました。昨年春、フランス大使館にエロー外務大臣のご招待をいただいた時「東京オリンピックの聖火台には、新潟の縄文火炎土器とアール・ブリュット作家の澤田慎一さんのトゲトゲのオニを合体してデザインしたら日本ならではの文化的発信力がありますね」などとふたりで勝手に企画して盛り上がっていました。その企画、篠田さんは今後も提案していきたいと言っておられました。
実は音楽祭の前に、念願の吉田千秋さんの生家を訪問できました。千秋さんの姪である吉田ゆきさんがご案内下さいました。生家そのものは明治16年(1883年)建設ということですので134年前の建物ですが、棟柱の太さは見事です。国登録有形文化財に指定されており大変丁寧に維持されています。千秋さんが寝起きをしていたという二階の部屋には、千秋さんが使ったといわれる机も残されていました。机の引き出しはすっと引き出すことができて、その精巧さが感じられました。
また庭にある離れや東伍の書庫が石積みの上の高床になっているのに気付いて、ゆきさんに尋ねると「このあたりは、昔は信濃川の氾濫で水につくことが多くて大事なものは水塚に保存していたんですよ」ということ。しっかり昔の生活の知恵が活かされ、今でいう「流域治水の避難対策」がなされていたことが分かります。歴史地理学者の吉田東伍が産まれ育った風土は水害に悩まされ続けた土地柄でもありました。東伍が残した日本初の全国的地誌「大日本地名辞書」を改めて勉強したくなりました。
さて、今回新潟にもおこし下さった岡谷市商工会議所の林新一郎会頭さんによると、小口太郎さんの出身地である岡谷市でも来年に加藤登紀子さんを呼んで「琵琶湖周航の歌音楽祭」を開催される予定ということです。
小口太郎と吉田千秋、それぞれ20歳の時につくった詩と歌が琵琶湖で合体されて生まれた「琵琶湖周航の歌」。お互いにその出会いを知らず、若くして世を去ったふたりの魂が100年後の今、こうして琵琶湖・新潟・長野で出会っているようで、感動を覚えます。この経緯を調べていただいた飯田忠義さんに感謝です。