<令和に生きる近江の祭り(その1)>初日の5月1日、甲賀市の二つの祭りを訪問。油日神社の山里の祭りと、野洲川沿いの八坂神社(儀俄:ぎか)の川枯祭り。「国宝・重要文化財」保有ランキング全国4位の滋賀県ですが、上位3都府県は博物館・美術館の文化財が多いが、滋賀県の文化財は、まさに村里の暮らしに寄り添い、ひっそりと住民によって守られ伝えられてきたものが多い。本日の二か所も白洲正子さんがいわれる「かくれ里」の代表です。映像でお楽しみ下さい。5月1日(また長いです:1200文字)。
甲賀市の旧甲賀町油日の油日祭りも、旧水口町儀俄の川枯祭りも、いずれも千年を超える伝統の神社です。これから始まる水田農耕の実りを祈り、氏神さまが神輿に乗って領地を巡回する神輿渡御を見せていただき、あらためて近江の国の農耕文化の奥深さを味わいました。ご案内いただいた田中松太郎さん、中嶋武嗣さんはじめ皆さん、ありがとうございました。
油日神社は平安時代の元慶元年(877年)に、鈴鹿の霊峰油日岳の天井に現れた油の火のような光明を発したことから名づけられたという。中世には甲賀武士たちの信仰熱く「甲賀の総社」として、室町時代(1495年)に建てられたという本殿を取り囲むように、コの字に廻廊が延び、重要文化財の重厚な建物の裾には湧水の水路が美しく流れています。
「総社」だけあり、現在も氏子の範囲は油日小学校区をこえており、神輿の巡回には昼から夕方まで7時間以上を要するという。それだけに二基の神輿の担ぎ手も不足気味といい、外に出た子どもたちも応援に駆け付けている。どこも祭りの維持には心を砕いている。神輿が通る角かどには椅子にすわる老若男女が待ち構え、献酒で力をつけてもらう。
私が油日神社の存在を知ったのは、白洲正子さんの『かくれ里』であり、「世を避けて隠れ忍ぶ村里」の代表でもある。そして白洲さんが驚くのは、そのような山里に驚くような美術品が村人たちに守られていることだ。油日神社のこの建物の重厚さとともに、資料館には「福太夫」などの美しい能面が伝えられ保存されている。
一方、甲賀市儀俄の八坂神社は、天平21年(794年)創建で、本殿は桃山時代のもので、国の重要文化財に指定。平安時代には川枯(かわかれ)神社とよばれ、杉の巨木や神池や、池のほとりにただずむ花崗岩の反橋(そりばし)も美しい。
神社から担ぎだされた重さ百貫(375キロ)のお神輿は、まず村中を練り歩いた後、野洲川を渡るところがハイライトだ。川の水は冷たく、今日は雨模様で水量も増えていたが無事に野洲川を渡り切った。
神輿にのられた氏神さまもさぞかしハラハラではなかったでしょうか?川の恵みも災いも受け止められたことでしょう。御旅所が、川を渡った対岸の今郷にあり、そこまでが儀俄の領地。まさに大河野洲川とともに生きてきた儀俄の人びとの思いを込めた感動の、神輿の野洲川渡りでした。