滋賀県立大学の「環境科学セミナー」でお話しをさせてもらいました。主催者は、2年前まで滋賀県職員で、流域治水条例づくりの中心職員の一人であった瀧健太郎准教授です。テーマは「滋賀県の治水政策に託す未来 - 政策・計画の視点から」です。春休み中の年度末、地域住民の方や学生さんも含め、教員を中心に30名ほどが集まってくださいました。ダムだけに頼らない流域治水について、これまで表に出されていなかった、今日のセミナー主催者の瀧さんといわば「親子喧嘩」になったのは二点です(微笑)。3月28日。
1点目の議論は、たしかにダム凍結政策は今のところ滋賀県では実現できているが、もともと河川管理の基本方針である「基本高水」という河川に閉じ込めるべき目標数値を、嘉田自身が2007年の知事時代に一旦認めてしまった以上(瀬田川から淀川について)いくらダムに頼らないと言っても、それは河川改修とダムとの時間的順番を変えただけで、河川計画論的には「ダム中止」はできていない、という点。
嘉田の意見としては、たしかにあの時点で一旦認めた以上、計画論的には、新たに基本高水の見直しをしないと、行政計画論的には一貫性を欠く。しかし人口減少やますます進む財政的逼迫状況など、時代条件が変わるなかで、基本方針の見直しが絶対できないというものではないだろう。未来世代の意見や意思をどう受け止めるかも課題である。ダム依存計画の妥当性もどこかで見直しが必要ではないか主張しましたが、計画論的には「負け」です。
2点目は、現実の政策採用として、水害多発の今の時代、流域治水政策の必要性はますますたかまっているが、国も「水防災意識社会づくり」として採用を始めたが、嘉田色がついている限り、なかなか広がらない。国の河川政策母体の国土交通省は感情的に流域治水政策を採用しにくいので、嘉田は政治の舞台に出て欲しくないという瀧健太郎准教授からの切実な訴えもありました。
ここは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という、嘉田という坊主が国土交通省に敵と思わせてしまったところが問題であるということです。いくら意義と価値の高い袈裟であっても、着ている人が憎いと広がらないという、いかにも日本的な精神構造の指摘です。このような精神構造を認めたとしても、だから私自身が政治の世界から身を引くという選択肢はない、と申し上げました。ここは、私自身の生き方そのものでもあります。有権者や歴史が証明してくれると思うと答えました。
このような議論がいわば「親子喧嘩」の内容です。
今日のセミナーのねらいは下記でした。
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滋賀県は、2006~2009年にかけて、計画中の治水ダム事業をすべて凍結し、河川改修を中心とした河川管理に舵を切りました。また、2014年3月には、「流域治水条例」を制定し、全国に先駆けて氾濫原管理に重点をおいた治水政策を展開しています。この大きな政策転換は、どのような政策的・技術的論拠のもとで、どのような合意形成を経て実現したのか。当時の知事と担当者が紐解き、これからの流域管理のあり方について議論を深めます。
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歴史的、技術的内容については、今日の議論のテープおこしを記録化していただきます。瀧さんはじめ、本日の参加者の皆さんからの議論展開、期待いたします。