Facebook 2019年3月23日

今日3月22日は「世界水の日」。1992年ブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミットのアジェンダ21で提案された記念日。この記念日にちなみ、兵庫県加西市では「水道事業50周年記念」として「水と暮らす~近い水・遠い水~」という講演会があり、講師として「遠くなってしまった水と人びとの関わりを近い水として再生しましょう」という話をさせてもらいました。地域自治会の代表者など200名あまりが耳を傾けて下さいました。3月22日。また長いです(すみません)。

瀬戸内式気候の元、降水量が少なく生活用水を井戸水に頼らざるを得なかった加西市(加古川の西という意味)では、昭和42年に合併後も、市域内に水道水源がなく、市外に頼らざるを得なかったという。それゆえ生活用水の担保には市政あげて苦労してきたと。今日ご挨拶くださった西村和平市長は、2期8年の間に水道事業の水源を兵庫県水などに転換することで、コスト低減をはかってきたが、今後も水源確保が大きな課題と言っておられました。

今日の講演は、大きくふたつの柱をたてました。ひとつは「世界水の日」にちなみ、世界的にみて水と共生してきた歴史と文化が日本社会には濃厚に受け継がれており、水を守り利用する水田稲作をベースに地域共同体がつくられてきたことを日本の水文化としてお伝えしました。ここでは、私自身が現地研究をしてきたアフリカやアメリカ、ヨーロッパの国ぐにとの比較資料で示しました。加西市の歴史をみても、弥生時代から稲作水社会をつくり、今も市内に1000個もあるというため池の利用や保全場面では地域自治が守られていることを強調しました。

もうひとつは、古代からの地域が守ってきた「近い水」の意味と意義。距離的・社会的・心理的に人びとに近い水が、明治時代以降、顕著には昭和30年代以降の行政の近代化の過程で、物理的・社会的・心理的に「遠い水」となってしまった歴史的転換です。日々の生活用水だけでなく農業用水なども「行政と専門家」に預けてしまい、住民自身の関与や関心が薄れてきたという歴史的経過を詳しく辿りました。

「遠い水」化は、使いたいだけの量の水を使いたい時に使えるという、当事者の利便性の確保という意味では大きな進歩であったといえます。下水までレバーひとつで暮らしの場から外に出せることは大きな進歩でした。しかしそれは同時に、水と人との関係性が弱まり、外部環境に負荷をかけ、いざ災害などで上水道や下水道のような近代技術が破壊されてしまった時に脆弱な社会状況をもたらすことを意味しています。

会場の皆さんに「自宅に井戸水のような自己水を持っている人は?」と尋ねたら2-3割の人が手をあげられました。旧集落地域ではまだかなり自己水源をもっているようです。そこで最後に、西村市長さんに対して「災害用井戸を指定して、万一の時の近い水を確保してください」と提案しました。それも地域毎に子どもや若い人を巻き込んで自分たちで「井戸水発見調査」などをして防災用井戸の指定などをなさったら、ということです。

今日の講演用スライドの表紙には、比良浜の嘉田家前の橋板にたたずむ小坂育子さんとの記念写真を示させてもらい、明日のお別れ会のことも表明させてもらいました。いよいよ明日3月23日、大津市本堅田の本福寺でのお別れ会です。参列下さる皆さんが小坂さんとのお別れいの思いを十分に遂げられるよう、今から最後のだんどりです。

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