高島市新旭町針江の有機農業の先駆者、石津文雄さんの「黄綬褒章受章をお祝いする会」を3月10日、新旭の「かばた館」で開催させていただきました。ハイライトは、安曇川町の菓舗「とも栄」さんオリジナルな「魚のゆりかご水田」ケーキと、お孫さんからの花束贈呈。少し報告がおくれましたが、当日の模様、共有させてください。3月13日。また長いです^_^。
昨年の11月14日、皇居で天皇陛下から直接叙勲の栄誉を受けられた石津さん。50年来の友人である青年団時代の方たちや、有機農業研究会の皆さんなど、若い頃から人の健康や環境に配慮した農業を先駆的にすすめてきた石津さんらしい、同志たちが40名ほど集まってくださり、和やかな会となりました。
司会は発起人の小松明美さん。主催者代表の嘉田からの趣旨説明のあと、清水鉄次滋賀県議からの祝辞をいただき、いよいよ奥様とともに、ケーキに入刀!「とも栄」さんが精魂こめて、水色の水田面に石津さんの姿に、フナのように見える魚を配置。カカシやテントウムシまでのっていて、凝っています。注文通り、楽しいケーキが完成。地元のアドベリージュースで乾杯。乾杯の音頭は滋賀県庁の世界農業遺産担当の青田朋恵係長さん。
その後、石津さんの業績紹介。パワーポイントを活用して写真をみながら嘉田がインタビュー。まずは「農薬の怖さ」を経験した原点から。ちょうど農薬の空中散布最盛期の、石津さんが18歳の頃(昭和23年生まれなのでちょうど昭和40年頃でしょうか)、農薬散布の作業をしたその晩、アルコールをとってはいけないといわれながら若気のいたりでお酒を飲んでしまい、急性アルコール中毒で3日3晩、生死の境を彷徨う苦しみに直面。それで農薬の怖さを知ったという。
それ以降、農薬を使わず、長野県の佐久地域を訪問して学びながら鯉を飼ったりしながら、米作りをしてきたが、周囲からは「雑草が飛んでくる」「迷惑な田んぼだ」といろいろ批判をいただきながらも、原点を忘れずに工夫を重ねてきた、という。そんな中で一番の味方は、大阪の生協の消費者の人たちだったという。
それも自分たち消費者が口にする農薬よりも生産者の危険性の方が高いのでは、と生産者の健康に気遣いをしてくれる消費者に出会ったことが、「針江げんき米」をつくる勇気と元気をいただいたという。大阪から生産者の人たちが田植えから稲刈りまで参加をしてくれて、農業の現場を学んでくれた。あわせて、日本ではじめての遺伝子組み替え種子を使わない運動も針江からはじめた。
そのうち田んぼに生き物を増やすには、圃場整備をする前や琵琶湖総合開発で湖岸堤防ができる前の状態に戻し、琵琶湖と田んぼをつなぐ魚道をつくろうということになり、いろいろな形の魚道を計画して、今のせき上げ魚道ができた。するとフナなどに加えてスジシマドジョウなど貴重種も現れ、田んぼに生き物が増えてきて、観察会などもたくさん行った。そこで会場から水土里ネットの上原さんが参加をしてくれ、解説を追加。盛り上げていただきました。
そのような中で、ラムサール条約の締約国会議では韓国まででかけ、「生き物田んぼ」の広報も行い、国際的にも注目されるようになったという。韓国で、アフリカのマラウイ湖に、針江のし尿を農業に再利用する日本型トイレが普及していることを聞き、うれしかった、というコメントもありました。
その後、参加者全員でお祝いメッセージのマイクリレー。青年団時代からの友人は「無口な石津くんがいつのまにか、こんなに饒舌になって、話もわかりやすくて感動した!」と口ぐちに言っておられました。田んぼの生き物の実態、生き物への愛情を語ってもらったら石津さんの右に出る人はいません!懐かしいみなさんのお出会いもあり、和やかな会となりました。
お孫さんお二人からの花束贈呈はそれぞれにはずかしそう・・・。「針江のんきふぁーむ」を継いでおられるご子息さまたちは東京などでお仕事中。おじぃちゃん、おばぁちゃんに馴染んだお孫さんたちの姿は、未来への希望です。
最後の受賞者挨拶では、「一番この場にいてほしいと願っていた小坂育子さんがおられないのが何ともさびしい。3月23日の堅田でのお別れ会にお越しください」と涙ながらにお知らせくださいました。
全体の準備から仕切りをしていただいた小松明美さんと巨木の会の皆さんに感謝です。また何よりも小雨降る中、遠路はるばるお越しいただいた参加者の皆さまに感謝です。
この2月に日本農業遺産に指定された、「森・里・湖がつながる琵琶湖システム」は、世界遺産への推薦候補にもなりました。石津さんはじめこの日に集まって下さったみなさんが、一番の功労者であること、改めて自覚できた会合でした。