Facebook 2017年8月17日

先祖との出会いの季節。兄夫婦が守ってくれている埼玉の実家で母との思い出を確認。盆棚づくりの風習も兄や跡取りの甥っ子泰之たちが継いでくれています。甥っ子、姪っ子の子どもたちもにぎやか。145年前、明治5年建造の養蚕農家づくりの母屋は、数年かけて耐震補強・床板張替などの大改造がほぼ完了。あわせて中学校時代の恩師、85歳になられた萩原郷三先生を群馬県に訪問。中高時代の山登りの話など、懐かしく語り合いました。8月16日。

18歳で埼玉の家を出てもう50年近く。それでも今も鮮明にお蚕さんを育て、野菜をつくり、農業で生活を成り立たせていた子ども時代を思いおこします。人としての原点がここにあります。年5回の養蚕、その間の畑作の陸稲・大麦・四季おりおりの野菜、働き詰めの母の農婦としての暮らし。徹底的に自給にこだわり、煮干し・豆腐・油あげなど一部の食材以外はすべて手づくり。みそ醤油も自給。子どもの栄養補給にとヤギも飼っていました。母が亡くなったのは21年前の琵琶湖博物館開館の直前。激務の中で死に目にも会えませんでした。

お盆棚には、ナスやキュウリの乗り物、これに乗って先祖様が帰ってくるという伝承から。最も古い位牌は元禄時代というから300年近くになるでしょうか。今年は、ゴーヤの乗り物も、「えらく南方風になったね!」。

中学校の恩師、萩原郷三先生、85歳になられて最近元気がないということで心配になり、群馬県の新町のご自宅を訪問。頭は鮮明ですが、足腰が弱くなって、ほとんど外に出られないということ。それでも、私の今の仕事内容などを語ると、一生懸命、耳を傾けて下さいました。山登りの話はうれしそう。

暮らしの原点が母からの教えであるなら、中学校1年の担任の萩原先生は人生の視野を広げて下さった大恩人です。中学校1年以降は学校も違うのに、毎年山につれていってくれました。自然の仕組みの不思議さや世界の広さを教えて下さいました。

谷川岳に登った時には、「キータン(私のあだ名)、あの山のむこうにはアフリカがあるんだよ!」と山の彼方に思いを繋いでくれました。私がアフリカ行きを意識した最初です。中学校2年生で、20キロものキスリングをかついで谷川岳を縦断。「中学生の最年少記録だろう!」と当時言われました。

高校にはいっても、中学校時代の同級生に声をかけて、八ヶ岳や苗場など、群馬県から長野県の山岳地帯につれていってくれました。1966年8月13・14・15日、熊谷女子高校1年の時、苗場山に登った時の写真が出てきました。萩原先生と、熊谷高校の北爪由紀夫さんが一緒です。北爪さんは経産省の官僚となり、退職後の今は、ボーイング社の取締役でアメリカ在住です。

京都の五山の送り火もおわり、ご先祖さまをお送りして、明日からまた日常がはじまります。皆さんのお宅ではいかがでしょうか?

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