Facebook 2014年9月9日

未来政治塾 南相馬市 被災地に学ぶ (3)  桜井勝延市長から「世界史的課題に立ち向かう使命感と覚悟」をお聞きする。

9月8日(月)、朝一番に南相馬市議会議員の小川尚一さんから、3.11以降の南相馬市の被災状況、復旧の様子など、総括的に聞かせていただく。

写真①にあるように、海岸部の赤い部分は津波が襲った場所で、40ヘクタールにのぼり、元々が干拓地などの土地が低い沿岸部で、住宅などもことごとく流され、636名が亡くなったという。また原発避難中などに震災関連死なさった方も458名もおられ、合計1094名の方が亡くなったという・・・・。

また南相馬市の南部、小高地区には「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」があり、これらの地域には人は居住していない。かろうじて「避難指示解除準備区域」は昼間だけ帰宅でき、今除染中で、平成29年3月末までに除染を終えて、住民の帰還を許可する予定という。

このあと、桜井市長に面談時間をとっていただく。まず桜井市長のお話をうかがい、そのあと質問におこたえいただく。

桜井――――――――――――――――――――――
全国各地から支援してもらい、今も42名の職員が応援にきてもらっている。震災後、職員は大変疲労して60名以上がやめた。津波や原発被害を受けた職員も多く避難先からの勤務もある。全国からの援助はありがたい。若い職員が多く、基本的な仕事の立て直しをしている。日本は自然災害が多い。全国どこでおきるかわからない。日本全体がお互いさま。復旧、復興しないといけない。今後ともご支援おねがいしたい。

今の自分の使命は、東電と国に現場(の苦しみ)を知らしめること。被害の現実を知ってほしい。霞が関との人事交流もしながら、この機会に若い職員を鍛え上げたい。この国の立て直しをしたい。

この国は軽くなっている。私はもともとが百姓。死語になったエコノミックアニマル、マネー資本主義はおかしい。机上で別の世界がつくられている。この国はもっと素敵な国。日本人として(再稼働など)今の政権のやり方、恥ずかしい。もっと地に足のついたことをやろう、と思う。藻谷浩介さんが言う「里山資本主義」にも賛同する。日本も捨てたもんじゃない。

<質疑応答>
Q1:過去3年半で 何が一番きつかったか?

桜井:自分を精神的にコントロールすること。世界史的課題に使命感をもって自分だけはとりくめると自画自賛して、精神的、体力的に鍛えている。震災後50日間、市長室に泊まり込んだ。今も毎日マラソンで走り込んで、バランス感覚をもって仕事にあたっている。市に残った人、出た人の意識にズレがある。外からかえってきた人は「まだなぜこんなになっているのか?」と復旧がすすんでいないと不満。ここに残った人は必至で立て直ししてきたので、少しずつ良くなっていると思っている。放射能はとっても複雑な状況、おもしろいかつ困難な課題。世界史的課題。

Q2:今居住していない小高地区で帰還したくない人が30%いるという。どうするか?

桜井 :住民の意識は変わる、悩んでいると思う。町の変化とともに住民の気持ちも変わる。世代によっても変わる。どういう人たちが復興を担ってくれるか。自分たちの町の再生、自分たちの力を発揮しながら、国の責任を最重点においていく。原因をつくったのは国なのだから。小高区の立て直しでは住民協議会をつくって、女性や若者に役割をもってもらいすすめている。

Q3:子どもの出産などへの不安は?

桜井:「子どもを産んでいいんですか?」という不安はー時期あった。しかし現実的にいろいろな情報を共有し、心配しながら、それをどうケアーするか、受け止めていきたい。去年から今年、出生者は増えている。明るい方向にむいている。未就学児は震災直後10% まで落ちたが、今40%をこえて回復している。

Q4:国と東電と戦うというが、私たちはどう思ったらいいのか?

桜井:友達関係をつくるのが大事。メディアにだまされることなく現地と情報共有。メディアで分断されている。日本のメディアは、震災直後、30キロ圏域にはいらなかったように、かなりひどい。皆さん自身がこうして現地訪問してくれることが力になる。

Q5:今、日本国内で再稼働などで悩んでいる地域からの視察はあるか。また海外とのやりとりはどうか?

桜井:九州の川内原発近くの阿久根市の市長は視察にきたが、立地している地域からは来ていない。また海外からの視察は多い。震災直後のマスコミ報道をみても、日本国内よりも海外の人たちの方が感度がよいような気もしている。

Q6; 津波被害地域が40ヘクタールもあるが、そこを再生可能エネルギーなどの基地化する計画はないか?

桜井:エネルギー計画はつくらなければいけない。特に市民が参加をして再生可能エネルギー事業を振興できるようにしたいが、人材が不足している。今後のエネルギー自立にむけて力をいれていきたい。

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このあと、午後には小高地区の除染地域を訪問しました。山側は海側よりも線量が高く、除染したところでも「1.28」ミリシーベルトを示していました。海側は「0.05」程度でした。

今、南相馬市だけで3000人ほどの除染作業員が入っているということ、全国からきているようです。住宅の屋根、庭、また農地の上土などをはいで、黒いバッグにいれて、農地など一次保管所に集めていきます。これをゆくゆくは「中間貯蔵施設」に運ぶことになるようです。

次に海側の松本地区を訪れました。70戸のほとんどが流されるか破壊されてしまったという。崩れた住宅に飾られた花が痛々しい情景でした。

最後に北部の鹿島地区を訪問し、海岸の松並木がことごとく流される中で、1本だけ残った「奇跡の一本松」をみせていただきました。鹿島地区では、新しい家もたち、放射能の影響がないところは同じように津波被害をうけていても小高地区など南部地域とは大きく異なることがよくわかりました。

今回の訪問で、未来政治塾塾生はいろいろ感じたようですが、何よりも、地震と津波からの復旧にくらべ、放射能汚染地域はまだまだ被災直後のままで、時間がたっているがゆえに余計にその被害の深刻さに心が痛みました。

(写真 ①南相馬市の被災状況図、②桜井勝延市長を訪問、③桜井市長と全員写真、④ 農地の除染作業中、⑤黒いバッグが積み上げられた一次保管所、⑥海側の津波で流された地区にて、⑦鹿島地区の奇跡の一本松、⑧最後の記念写真。

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