Facebook 2014年8月17日

北関東本庄市の、ある養蚕農家の嫁の闘病日記(1)―60年を経て発見された日記

人には必ず親がいる。当然である。その親も、またその親も・・・・。そして先祖への永遠の連鎖につながっていく。

お盆とは、ご先祖さまの生身の系譜をたどりながら、「自分とはどこから生まれてどこへ行くのか」と省察する機会でもある。特に自分の精神の在り方、その構造はどこでどのように生まれ、どこへ行こうとしているのか、人生の身仕舞いを考える60代半ばとなると差し迫った問題となる。

私の人生で最大の「重要な他者」(もっとも影響を与えた存在)は実の母、渡辺セン(大正9年-1920年生まれ、今生きていたら94歳。18年前に76歳、リンパ癌で亡くなりました)です。

そして今、私がもっともこだわっている問題は、偶然発見された母の闘病日記に記された、そのリアルな生活実態と背景に隠された時代的、家族的意味を読み解く試みです。

実はこの3月、まるまる60年、母のタンスの底の敷紙のその下に隠されていた二冊の闘病日記を兄夫婦が発見をしてコピーを送ってくれた。「日々のなぐさみ」「S.W」とある。

昭和28年1月26日から始まる1冊目は5月末まで、二冊目は同じく28年6月1日から10月12日まで。このあと10月17日から実家での療養の不安を解消するための念願の深谷日赤病院に入院できることが決まり、実家での闘病日記が終わっている。

まさに「肺病やみ」といわれ、当時としては不治の病ともいわれた結核と日々どう向き合うのか。あちこちの病院で気胸や投薬などを行いながら、幼い三人の子ども、夫、そして婚家と実家との、自分の病をめぐる確執に直面する若嫁。

国民皆保険制度も未熟な時代、医療費を婚家と実家のどちらが負担するべきなのか。そんな葛藤が根強くあったことは薄々私自身も子ども心に知っていた。そのリアルな日々の出来事が本人の手で語られている。

(写真①現在の渡邊家、お盆さまの前で 写真②母 センの療養日記の表紙 写真③日記、最初の1頁目 ④結婚前、教員時代の母、写真⑤4歳当時の由紀子)

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