Facebook 2014年6月2日

高島市針江での「針江生水(しょうず)の郷委員会10周年」&「エコツーリズム大賞」受賞を記念しての「かばたフォーラム」に参加。今森光彦さんと対談。(長いです)

6月1日(日)、高島市の針江地区は、今森光彦さんの映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台となった場所です。家ごとにきれいな湧水がわき、台所を川が流れ、集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムを“かばた”(川端)と呼んでいます。

2004年1月に映像詩『里山・命めぐる水辺』がNHKで放映されて以来、他府県ナンバーのクルマが増え、集落の人たちは、「生活の場であり、突然見学にこられても困るな。何か方法はないものか」と何度も何度も話しあいを重ね、2004年春に「針江生水(しょうず)の郷委員会」を発足させました。

最初は手探りの状態で、26名から始まり、手作りマップや竹コップなどをつくり、高齢者が中心となってツアーガイドをすすめ、10年が経ちました。最近は日本中だけでなく、海外からもたくさんの見学者が訪れ、日本固有の水の生活文化や、美しい集落風景、地域の人たちとのふれあいや、琵琶湖につながる水辺景観などを楽しんでくれています。

この間、2008年には「平成の名水百選」にも選定され、2010年のアメリカでの世界湖沼会議での発表など、目覚しい活躍をしてこられ、このたび環境省の「エコツーリズム大賞」を受けました。

会長の美濃部武彦さんは、冒頭の挨拶で、「下流の人のために汚さないという思いやりと信頼の水」であり、来訪者から「ええところやな!」と言ってもらうことで、住民自身も「ここに住んでよかった!」と誇りをもてるようになり、自信をもって住み続けられるようになった、と言っていました。「世界に誇れる町、針江、世界一になろう!!」と力強く締めくくってくださいました。これまでの長い長い月日を思いおこし、思わず涙が流れました。

私自身、1980年代初頭に琵琶湖辺の水利用調査をはじめた頃から、かばたの存在に感動し、その価値を広めることで水の生活文化を保全・継承し、結果として琵琶湖の環境保全につなげたい、という思いで、針江など、多くの地域の活動にかかわり、1990年代に準備をして開館した琵琶湖博物館ではかばたのある家の再現展示も行いました。

2003年の世界水フォーラムの時には、アジアやアフリカの子どもたちを針江に招待をし、「水の天国だ!」と叫ぶ子どもたちの声に集落の人たちも刺激され、その価値の再発見のきっかにもなりました。

今森光彦さんは、人がかかわりながら守る自然を「里山」と呼び、1990年代から、琵琶湖周辺の棚田などを映像で海外にまで紹介してこられました。今日の対談で改めて、『里山・命めぐる水辺』に登場するおかず取り漁師の田中三五郎さんが、今森さんにとっては、「琵琶湖の命への案内人であり、琵琶湖への扉を開いてくれた人」であったことをしみじみと語ってくださいました。

夕方には、今は足を痛め、あまり外歩きができない三五郎さんのお宅を訪問し、久方ぶりに映像撮影時の思い出話などに花を咲かせました。またあの映像の中で「よしのぼりが三五郎さんと対話をしていたかばた」の水もいただきました。

先頭に戻る