Facebook 2014年6月20日

福島県 帰還困難区域訪問(2)、大熊町、原子力センター・オフサイトセンター、双葉病院、胸詰まる光景ばかり・・・。

その後、大熊町に移動し、国の原子力センター・オフサイトセンターを視察。2011年3月15日まで司令塔であった場所。
3年以上、無人で放置されてきた。

逃げまどう車の渋滞、寒さと食糧不足で疲弊する住民の姿とくらべて、何と整然とした事務所か?近隣地図には避難所の場所しかない。病院の位置さえ記されていない。どこまで現場情報がはいっていたのか?果たしてどこまで機能したのか?想定外の事態にどう応えたのか?国の役人さんがどこまで地元事情をわかっていたのか?数々の疑問がわく。

そして、同じ大熊町内の双葉病院に向かいました。避難途中で50名近くの方が亡くなられたあの病院です。原発事故は全く想定しておられなかったでしょう。建物はしっかりしていて地震の影響もあまりなさそうです。事故から1年後の2012年3月には、車いすやベッドが屋外に放置されていたという飛田さんの証言。今はそれも片づけられ、コンクリートの間から草がのびています。

ここでは敷地内で牛の排泄物を発見しました。今、避難指示等区域内では牛などの動物が野生化しています。この牛などの排泄物は高い放射線量が生物に与える影響を調べるための資料ともなるはずです。

そして最後に、飛田さんのご案内により大熊町内の民家の内部もご案内いただきました。このKさんのお宅は古くからの農家と思われるお宅ですが、積みおかれた飼料を野鳥や野生化した動物が食い荒らし、被災直後から放置されたお宅の内部は、台所もコタツの居間もとうてい住める状態ではありません。ご家族にとって見たくない場と思います。心が痛みます。

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