Facebook 2018年10月24日

「倉敷市真備水害被害調査(その5)」何が生死を分けたのか?死者51名の命を救えなかったのか? また4600棟、数千人の避難はどう実現できたのか?10月24日。また長いです(2500文字)。

大規模な浸水のために51人が犠牲になった岡山県倉敷市真備町では、亡くなった人の9割、45人が65歳以上の高齢者だった。65歳未満の死者6名のうち27歳の母親と5歳の娘さんは有井地区の平屋の家屋で7日の朝、7時から8時すぎまでメイルで外部に助けを求めながら、天井まできた出水で溺死してしまった。つらいことです。母親が障害をもっておられ福祉関係の人たちの手が届ききれなかったことは無念だ、とNHKで放映されました。

下二万地区では80代の母親と50代、40代の息子さんがふたり亡くなられたという。箭田地区では40代の女性が亡くなった。それ以外45名は65歳以上の高齢者だった。お一人ずつの住居(平屋か二階建か)や家族状況、身体状況等の背景を調べようとしているが、個人情報ゆえ公表できないといわれ、私たちは今、お一人ずつその背景を調べさせてもらっているが、まだまだ限界がある。公的な組織で調べていただき、公表いただきたいと思いながら今、つづっています。

というのも、今まで日本の防災は「現象後追い型」であり、被害が起きてから手をうつという方法が主流だった。それに対して、滋賀県の「流域治水条例」では、「ながす」ハード対策に加えてソフト対策も「事前対応型」にしていきたい、ということで土地利用規制や建物配慮などの「とどめる」対策、情報開示や避難体制の強化等「そなえる」対策をすすめてきた。そしてすでに起きたところからの学びを更なる対策に埋め込む必要も感じてきた。

建物の備えについては、200年確率で3メートル以上浸水する恐れがある住宅では、縦方向の避難を確実に行うための建物の高さの確保を推奨し、警戒区域では義務づけてきた。しかし、今回の真備での死亡要因をしらべていくと、二階建の自宅の一階で溺死している人が少なからずおられることが分かってきた。そのおもな要因は寝たきりだったり、足が悪くて二階にあがれないという身体条件だった。「車いす避難」なども考慮する必要があります。もちろん流域治水条例では「避難体制の強化」による救助体制なども考えていますが、今回の真備の教訓として、土地利用条件、建物条件、そして避難体制づくりのまさに「多重防護」が必要であることがわかってきました。

また真備町域の3分の1の4600棟が浸水した中から避難、あるいは救助された方たちも何千人もおられます。その避難、あるいは救出状況も詳しく、今のうちに調べておく必要があると思います。10月20日に、原田龍五・倉敷市議会議員のご調整で川辺地区消防団のNさん、Yさん、Mさんの三人に短時間ですがヒアリングをさせてもらいました。ポイントは二点、ひとつは「避難を呼びかける情報がなかなか伝わりにくかった」と言う点。それと警察や自衛隊が動き出す前に地元の消防団やご近所の皆さんが大活躍をしてくれた、という点です。

倉敷市消防団玉島方面隊真備第一分団第三部消防団には23人おれるということ。7月6日の14時に召集がかかり、Nさんは仕事場をはなれて川辺小学校の北の脇本陣跡のすぐ横の「機庫」に集合。18時か19時頃にもう1人来たので2人で消防車に乗ってパトロールで土手沿いに走った真備支所に報告に行った。小田川に水位計はなく、橋梁に目もりがあるのでその数値を報告した。かなり水位は高かったようです。

21時ころ避難準備情報の告知を行ったが、マイクで町内に告知する表現はもっとわかりやすくする必要があるとYさんは言う。上から言われたセリフの通りに消防車のマイクで話したが、話しているこちらが「これでは伝わらないだろうな」と思うような表現だった。たとえば「避難指示がでました」と言うようになっていたが「避難命令がでました。逃げてください!」などもっと意味が伝わるように、行動を促すような情報にする必要がある。しかも、本来なら暗くなる前に避難準備を流す必要がある。防災無線も消防車での告知も、夜テレビを見ている人にはテレビの音で聞こえない。「伝える」から「伝わる」情報をどうするべきか、工夫が重要だ。

6日の真夜中、23時30分ころに総社市のアルミ工場が爆発し、川辺の消防車はアルミ工場の周辺に向かった。民家が燃えていて、窓ガラスも割れ、家の中もぐちゃぐちゃ。若い人が家から出てきたので119番に電話。けがしている方はタオルで止血。家ごとに見て消防署に電話。多くの人たちをそこで支援をした。

24時前に「小田川がオーバーフローしそうだ」と連絡があり、7日深夜1時ころ小田川が氾濫し「箭田(やた)」で浸水しているとの情報。大雨のなか防災無線はほぼ聞こえなかった。川辺の集落の人たちのうち2~3割くらいがすでに避難していた。しかし多くの方が自宅に取り残されていた。

7日の朝、明るくなってみると川辺の家いえ、1200-1300戸はことごとく水没していた。午前10時~11時ころ、水につかった川辺地区から取り残された人たちを救いだそうと、車屋さんがジェットスキーを持っていて、消防団員のNさん自身が免許をもっていたので、警察などからの制止もあったが、「責任は自分で持つ」と覚悟して必死で救助した。100人以上200人、300人助けたかもしれない。警察はそのあとでボートを持ってきて救助をはじめた。自衛隊が来たのは7日の午後でそこはテレビなどの映像で紹介されていたが、消防団や地元の人たちは、いろいろな手段をつかって必死に住民救助にあたった、という。消防団人のMさんのお母さんは、手漕ぎのボートで近所の人に助けられたという。大きな業務用のタライで救助活動を行う地元の人たちもいた、という。

さて、「生死のさかいを分けて避難、救助体制」については、民間の私たち研究者の立場では個人情報の壁もあり、どうしても調べきれません。是非とも、国土交通省がつくっている協議会「高梁川水系大規模氾濫時の減災対策協議会」(平成28年8月4日設置)の皆さんに、なぜここまで死者がひろがってしまったのか、まさにこの協議会が現状分析をして「傾向と対策」を考えていただきたいと思います。

倉敷市長、総社市長、浅口市長、早島町長、岡山県危機管理監、岡山県土木部長、気象庁岡山地方気象台長、国土交通省中国地方整備局 岡山国土事務所長 同じく岡山河川事務所長のメンバーがきめられ、それぞれ幹事会も決められています。幹事会の下にはそれぞれの担当者をはりつけて、まさに「生死の境をわけた状況」「避難体制」「情報伝達の仕方」などの精査をして、今後の対策にいかすべきではないでしょうか。

なお、この調査は、地元倉敷市選出の柚木みちよし衆議院議員と秘書の戸次(べっき)さんたちのご協力で実現したものです。記して感謝申し上げます。

長文へのおつきあい、いつもながら、ありがとうございます!

 

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