Facebook 2015年5月10日

「どっこい!生きてく設楽町」、愛知県豊川最上流部の設楽町での、「ダムに頼らない町づくりシンポ」に参加。講演とディスカッションに参加。( 長いです)。

滋賀県知事時代、2006年の「もったいないマニフェスト」に従い、6つのダム建設の凍結・中止を行い、ダムだけに頼らない流域治水政策や環境再生、子育て政策などに力をいれてきた経験を語らせていただく。そして森の資源が豊かな設楽町での自然エネルギー活用など、若い人が住みたい町づくりへのヒントものべさせてもらう。

5月9日、豊橋駅前から、市野和夫さんのご案内で、豊川堤防ぞいを上流にあがり、設楽町へ。70キロあまりを2時間かける。豊川の下流部は、越流堤あり霞堤あり遊水池ありで江戸時代以来の治水技術が今もここかしこに活かされているあり様をみせていただく。

中流部からは掘り込み河川となり、河川氾濫による水害の心配はない地域がひろがり、美しい新緑の渓谷を経て、設楽町へ。

設楽ダム計画は昭和48年に利水、治水を目的に計画され、その後、他の用水事業が完成したり水需要の減少から利水の必要性が減少。治水も堤防強化などによりダムの必要性がほとんどなくなり、今は「流水の正常な機能の維持」という、いわば河川の流量を確保することを主目的とするダムにかわりました。(この機能は利水や治水機能が弱まったダム計画で、事業を続けるための苦肉の策として国土交通省が強調してきました)。

そのような中で、今回のシンポは、約120戸のダム湖に沈む予定の人たちの移転がほぼ決まり、いよいよ次は本体工事か、という段階で地元の有志がひらいたものです。つまり、何十年間も、強制的に故郷から引きはがされ移転を迫られてきたダム建設の最大の被害当事者である地元住民の方たちの移転がほぼ見通しがついたところが、次の段階となります。

滋賀県内の大戸川ダムや丹生ダム、また北川ダムでも、私が知事に就任をして、移転予定者の移住がほぼ終った段階で、ダムの必要性は、ダム計画が始まった40-50年前と変わらないのか、いわば「時のアセス」をして、税金を投入する意味があるのかを徹底検証し、凍結・中止を決めてきました。

設楽ダムもまさに今、その段階です。ダム建設の是非を判断する知事(首長)として、地方自治法でいう「最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」という規定に則り、その原則をかつようして、滋賀県ではダムの費用負担で、知事の予算編成権を活用して、経費をつけないことで、事業の凍結・中止を実現しました。知事や市町村長の予算編成権の活用が事業判断のひとつの目安となります。

設楽ダムでは、愛知県の大村知事や設楽町長、負担金を支払う下流市町長の判断も、それぞれの住民意見を反映していただき、判断することが重要と伝えました。もちろんそこで議会の判断も重要です。ただ知事や首長が予算をつけなければ、議会が「増額要求」することはほとんど不可能です。

また国土交通省の役人の皆さんの中にも今のダムに頼る治水からぬけでたい、滋賀県の流域治水がモデルと思う方たちもたくさんおられ、その方たちとの連携も重要とお伝えしました。

このシンポでは、京大名誉教授で『ダムが国を滅ぼす』の著者で、私自身、淀川水系流域委員会時代から15年近くのおつきあいがある今本博健さんが、設楽ダムの今後の計画については賛否両論の対話の場が必要であることを強調なさいました。

名城大学特任教授の鈴木輝明さんからは、アサリの漁獲高が日本国内で最も多い三河湾のアサリ漁場は豊川からの砂供給によって担われている可能性が高いことが生態データなどにより、問題提起されました。

元愛知大学教授の市野和夫さんからは、設楽ダム建設予定地周辺には活断層を含む地形・地層の不安定地帯がひろがり、ダム建設で水がたまると設楽町の中心部事態がダム湖水による液状化などにより破壊されるリスクが高くなると警鐘をならしました。

このようなある意味、地味なテーマに会場いっぱい200名をこえる参加者がありました。地元設楽町5割、設楽町以外の愛知県内4割、愛知県外1割という感じの参加者でした。県外からも関心の高いテーマであること、改めて感じたシンポでした。

私自身、知事時代から気になり、多くの方からお誘いをうけていた設楽ダム地域を訪問させていただくことができたのも知事を引退して自由度がましたからです。

滋賀県での6つのダムの凍結・中止の経験は今、全国にお伝えする必要があるということ改めて感じたシンポでした。主催した皆さまに感謝申し上げます。今後とも連携していきましょう。

 

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