大津市・大石龍門・里山ものがたりを、和菓子の「叶匠壽庵」の社員の皆さんとつむぎはじめています。今日は「共有山の所有と利用」について、地元の皆さんに聞きとりをさせていただきました。新名神高速道路の建設に伴い共有山の所有権移転が始まっていますが、伝統的な「総有」の意識が今も活きていることがわかりました。11月25日、今回も長くてすみません(1800文字)。
日本では水田は個別(家)の所有ですが、水田農業に必須の水は村落としての共有資源です。今は「水利組合」や「土地改良区」と名称は変わっていますが、起源は伝統的な村落共同体による共有概念に根差しています。水を一人占めするのは「我田引水」と戒められてきました。そもそも水田では用水を入れたら排水せねばならず、水は一カ所に固定して、一人占めはできません。
そしてその水を生み出す森林も、多くの地域で共有資源となっています。大石龍門には東側と西側とふたつの水利組合があり、今日は「東方水利組合」の共有山「井出山」について詳しく伺いました。龍門では水田用水を引く水路のことを「井出」といいます。井出の上流にあり、水を涵養すると同時に、収益を水利組合の維持に役立てる山なので「井出山」と呼んでいます。
「東方水利組合」の井出山は、登記上は7000平方メートルほどあり、昔から植林や間伐を水利組合員が「総出」(共同労働)で行い、水路の補修工事なども井出山の立木を伐採・製材して活用してきました。またスギやヒノキの売却益も水利組合の運営費にあててきたということです。
村落での居住・生活実態に根差して所有・利用されてきた資源の所有状態は一般に「総有」と言われ、たとえば近代的な意味でのマンションの土地の共有と根本的に異なります。どう異なるかというと、総有では、その財産の管理と処分の権利は水利組合や村落などの団体(法的には“実在的総合人”と言われる)に帰属し、個々の構成員にはその使用と収益権のみが与えられます。
つまり各構成員には「持分権」がなく分割を請求できません。それゆえ、村から外へ引越しするので、水の持ち分を分割してお金にして払え、とは言えないのです。同様に井出山も総有と考えられてきました。しかし、このような総有概念は、近代的な意味での個人所有意識が高まってくると、なかなか当事者に理解されない時代になっています。
行政経験から言うと、公共事業などで事業地を取得しようとする時に困るのも、共有地の所有権移転問題です。明治期の地租改正時に、実態は総有であるのに、代表者名義にし、所有者が死亡しても相続や登記ができていないケースがたくさんあります。大石龍門地域では今、新名神高速道路の建設が始まり、東方水利組合の井出山も所有権移転の対象となっています。
この井出山はもともと明治初期の代表者名義でしたが、実態は10名の総有でした。150年間に多くの相続が発生し、今は19名の名義になっているが、村から外へ出て連絡ができない人もいるという。その時どうするのか。そのために「共有持分全部移転登記」にかかわる裁判を経て、所有権の移転を完了したという。この時一人でも個人持分を主張すると面倒なことになるが、東地区の水利組合の共有山販売金は法的手続きを経て、すべて組合に残すことができたという。
総有のような所有形態を、「封建的」「前近代的」と言って拒否する風潮もあるが、水田に引く水は、何もせずに確保できるものではありません。つまり日常的に水路の清掃をし、補修をして維持管理をする必要があり、この維持管理の実態が総有を成り立たせている共同労働でもあります。龍門でも、毎年3月から4月にかけて、「井出ニンソク」として水路清掃があります。
今年の井出ニンソクには「叶匠壽庵」の芝田冬樹社長自ら、職員さんとともに参加しました。そして4月15日の大石龍門の八幡神社の春祭りにも、芝田社長が率いる若手の元気な担ぎ手を13名つれて参加をすることになりました。地域の水環境保全の共同労働に参加することが何よりも社員さんの認識を深めます。
昨日は「信頼資本財団」主催の「核と鎮魂」のシンポジウムの紹介をしましたが、まさに龍門のような村落共同体の水利組織の運営や、それに付随する山林の維持管理も、「信頼資本」により成り立っているものと思います。金という資本ではなく、水を生み出す森という自然資本を維持する人間同士の信頼資本が、日本の米づくりを支えてきたといえると思います。
封建的で凌駕すべき、と言われてきた「前近代的社会関係がポスト近代社会のあり方」を示唆しているのではないでしょうか。