Facebook 2015年5月25日

「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも 逢坂の関」を詠んだ蝉丸をまつる「関蝉丸神社」の春祭りに、地元の氏子地域に居住する次男、嘉田修平の子どもたちと参加。ローカルでかつナショナルな存在の神社ならではのお祭りに感動。5月24日午後。(長いです)。

京都から大津へ、京を発って最初の東海道の宿場町としても重要な大津。その入り口が逢坂山です。蝉丸が盲目の琵琶名手であるがゆえに音曲芸道の祖神として平安末期以来、現在まで芸能にたずさわる人々に崇敬され今に至る神社です。

境内には百人一首の「これやこの」の石碑とともに、「森進一・大原麗子」の奉納提灯も見られます。まさに全日本的に知名度の高い、また崇敬されるナショナルな存在といえます。とはいえ、地元ではなかなか維持継承が大変です。

かつては八町商店街もあり、沿道に屋台が並びにぎやかだったというお祭りですが、高齢化がすすみだんだんにすたれてしまった「関蝉丸神社」。氏子総代の片岡さんによると、280戸の氏子世帯の高齢化率は50%近いということ。子どもや若者が流出して祭りの参加者も減る中、地域にできたマンションの子どもたちが平成19年から参加をし、にぎやかさをとりもどしています。

景観的には、瓦屋根の町屋地域に10階建ものマンションが建ち、日照権や風の問題など、地元でも課題があります。私自身、大津駅近くで年老いても住まいできるという思いでこのマンションの一室を求めましたが、そこに居住する立場はまさに「微妙」です。ただありがたいことに、地域に何らかの形でかかわっていきたいというマンション子ども会の皆さんが平成19年から子ども神輿に参加しているという。

さて、今日は大人の神輿とともに子ども神輿をかついで、関蝉丸社の氏子10地域を練り歩きました。初夏のような暑さの中での巡業。お神輿に手をあわせ、また冷たい飲み物やおしぼりを準備して、心から歓迎してくださる人たちに出会いました。大津祭りの巡業では見えなかったひそやかな信仰がここに生きていることに感動しました。ローカルな信仰が今ここに生きているのです。

地域に定着していたお祭りのかすかな伝統を、今若い人たちが引き継ぎながら、さらに広げようとしています。来週5月31日には実行委員会が開催して初めての「関蝉丸芸能祭」も計画されています。・

またこの芸能祭にかかわり、今、このお祭りにかかわる「思い出の古写真展」が大津百町館で5月31日まで開かれています。

この写真展を企画運営してきたTさんに今日出会いました。この地域で生まれ育ったTさんの人間関係、信頼の上で可能となった写真展です。Tさんは滋賀県立大学の地域環人プログラムを学んだということ。

実は、個人アルバムから昔の写真を提供していただくのはかなり困難です。琵琶湖博物館学芸員とし、古写真集めをした私自身もずいぶん苦労しました。この地域で生まれだったTさんならではの貢献と思います。是非みなさん、見にいらしてください。

そして来週31日の芸能祭にも顔をだしてみてください。

今ここから、「関蝉丸神社の再生」、そして「隠れた大津の魅力を引き出さないともったいない」という活動が広まってほしいです。

実は、大津には蝉丸神社は3社あります。今回の関蝉丸神社のほかに、国道1号沿いに上社(かみしゃ)、大谷町に分社(蝉丸神社)が立っています。蝉丸三社全体の再生も考えていかなければ、と思います。

関係者の皆さんのご活躍、期待しています。

 

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