滋賀県多賀町水谷(すいだに)から新米が届きました。さっそく炊きました。あの山あいの田んぼがよみがえり、こうしてお米がまた収穫できるようになった。「ダムに沈むはずだったむらに、新しい田んぼができた。無事に実ってくれた。それがこんなに嬉しい。そっと小さなお裾分けを、皆さんに」。うれしくて、涙が出ました。11月28日。中くらいの長さです(1500文字)。
今から12年前の 2006年の滋賀県知事選挙で「税金の無駄遣いもったいない」として新幹線の栗東新駅の凍結、大津市北部の廃棄物処分場の中止とあわせて、滋賀県内に計画されていた6つのダムの凍結・中止を訴えました。ダムだけに頼らない流域治水を提案し、2014年には日本で初の流域治水条例を県議会で認めていただき、条例を制定し、施行しました。
この多賀町水谷地区には、「芹谷ダム」という彦根市内を流れる芹川の上流の洪水をバイパスでカットして、導水路で10キロほど本流から水を引き込んでダムに溜めるという県営のダム計画がありました。総計400億円の計画でした。芹川本流では、地質条件などで水漏れしてダムができず、計画は何回もかわり、最後に導水路計画になりました。
洪水時に流木などがひっかからずに水だけトンネルで導水するという技術にも無理があるのでは、とも考えました。洪水時の多量の流木の怖さを無視しているようにも思えました。楊枝を流木に見立てての「洪水時導水シミュレーション」も国の指導で行っていましたが、信じられませんでした。
水谷地区にある24戸の住宅が水没する予定でした。『風の記憶』というダム水没を前提にした写真集もつくられていました。1000年以上の歴史がある、四季折々の美しい山里の暮らし・・・。芹谷下流に開けた彦根の城下町よりも古い村です。昔、生活資源が豊富な山村は豊かだった証拠。
どうしても必要性が高いダムであるならば、この美しい里を水底に沈めることも避けられないかもしれない。でも、ダム以外の治水方式で、安くて早い治水方式が活用できる。
2006年の知事就任以降、地元の皆さんとの対話をつくし、ダム以外の治水計画(堤防強化、河川改修等)を提案し、何度も専門家委員会をひらき、最終的に2009年1月に芹谷ダムの建設中止を決めました。県職員さんも前例のない仕事に精魂をこめて、知恵をだして、誠意を尽くして中止計画をくみあげてくれました。地元の多賀町長や町議会とも何度も協議をすすめました。最終的にご理解をいただきました。
その上で、長い間、ダムの下に沈むという予定で、住宅などが放置されていた状態の水谷地区で、この後もこの地区に住み続けるための住宅の改修や地域自治会館の建設、村落内の河川改修や道路の改修などの事業を県費ですすめました。一段落がついた2013年3月22日に、知事として水谷を訪問した時の記念すべき写真もあります。
水谷地区の皆さんには、県としてのダム計画で長いあいだ水没の覚悟をしていただき、その後の政策変更で大きな不安を与え、本当に大変なご迷惑をかけてしまいました。政策変更のお詫びをして、何よりも水谷地区で今後も長く孫子の時代まで幸せに安心して住み続けられるような政策を進めてきました。
あれから5年、こうして水谷からの嬉しい「お米のお裾分け」が届きました。あの時、大変なご尽力をいただいたTさんやYさん達にお会いしたいです。近いうちに水谷地区を訪問させていただきたいです。