Facebook 2015年6月2日

「近い水」の暮らし、「橋板(はしいた)」のある琵琶湖辺の浜辺の暮らし! 50年来の念願がかないました!孫たちも、新しい「橋板」と柄杓・バケツに大喜び!(長いです)。

5月30日、北比良のわが家の前に洗いものができる可動式「橋板(はしいた)」が完成。風が吹いたり大波の時には、紐をひっぱって浜にあげることができるので「可動式」です。湖岸の占用許可は可動式なら不要です。

この界隈で、今唯一現役の「橋板」を持っておられる濱口さんにお願いをしました。難しいのは、橋先の下につける「マタ木」です。上に乗る人の重さを受け止めるためにもがっちり水底にめり込む形と強度が必要です。ヒノキの自然木を探して磨いてくださいました。重石は、今は使わなくなった漬物石を転用。

朝日きらめく浜辺で顔を洗い、歯を磨く!なんとすがすがしいのか!水はもちろんそのまま飲みます。水と文化研究会で30年間いっしょに水文化の魅力発掘・発信の活動をしてきた小坂育子さんと記念写真!

50年前、中学校の修学旅行で訪れた琵琶湖近くで出会った水辺での洗いものの強烈なイメージ。今から振り返ると、そこから私の琵琶湖への恋心、琵琶湖研究は始まりました。

なぜ心ひかれたのだろう?暮らしの中で活きている水、人びとに信頼されている水、生き物もゆったり暮らせる水・・・。「近い水」の多様な意味と、なくてはならない水の価値。その奥深い魅力に心ひかれ、その後、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、アメリカと世界中の「近い水」調査をすすめるきっかけにもなりました。

水道がはいる前、琵琶湖岸には浜に面する家ごとに「橋板」やちょっと大きな「洗い場サンバシ」がしつらえられていました。琵琶湖岸の多くの地域では昭和30-40年代まで、水道が入るまえには飲み水は琵琶湖から汲んでいました。

早朝には飲み水を汲んで家中の甕に溜めて飲用や煮炊きに使います。太陽(ひ)が高くなってから、「橋板(はしいた)」でお茶碗を洗い、衣服の洗濯をします。茶碗からおちるご飯粒や食品の残りカスが魚のエサになります。

魚も「洗い場サンバシ」の下なら、人間がエサを定期的に与えてくれて、その上天敵である鳥類から身を守ってもらえるので、サンバシの下はお気に入りの場だったようです。魚がたくさんいて、水中にはいれる「橋板」は子どもにとっても格好の遊び場です。

ただし、「橋板」を使う人たちの間では水を汚さないという厳しい社会的不文律がありました。特に洗濯で、「下のモノ(パンツ)」や「おむつ」は絶対に洗い場で洗ってはいけません。人間から出る汚物によって、水場を汚してはいけない、という衛生観念はきっちり守られていました。水系伝染病などを防ぐ予防的措置でもあります。

今でもバケツを「上」と「下」とわける伝統が日本にはありますが、自然の水を衛生的に、多数の人たちの間で共同的に使うための「社会的はばかり」が活きていたわけです。

風景として同じようにみえる水辺であっても、塩分が多い海辺では舟をつけるサンバシはあっても、飲み水を汲み、洗濯ができる水辺はありません。そのまま人間が暮らしに使える淡水であるがゆえの、「近い水」の風景でもあります。

5月30日、北比良の田んぼで田植えをおわった孫たちもさっそく「橋板」で遊びだしました。5月5日の子どもの日、柄杓ひとつでも存分に楽しでいた孫たち。今度は、橋がある!すわったり、のったり、柄杓で水を流したり。

5歳の姉は、ちょっとおしゃれで衣服についた「レース」が大好き。柄杓から流れおちる水を、「おばぁちゃん、水のレース!」と繰り返し、くりかえし流し落としては、その水の変幻自在な形を楽しんでいました。その水を受けて、弟はシャワーを浴びるようにはしゃいでいました。

いつもママから離れない孫たち。「ママが待っているから!」とせかしても、「ビワコ、ビワコ!」となかなか離れません。「ママより魅力のビワコ!」。「橋板の魔力」です!

 

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