「第9回 淡海の川づくりフォーラム」まる一日にわたる12グループによる発表と「公開審査」の結果、グランプリは高島市総合防災局の「かわった行政が市民を守るで賞」でした! グランプリ賞の「かわった」は「変わった」「変り者的な」「替わった」のみっつの意味を含んでいる、というのが実行委員長の弁でした。2月13日(長いです)。
今年で9回目となる「淡海の川づくりフォーラム」、「川や湖が大好き」「川で遊ぶ子どもたちを増やそう」など、川や湖の楽しさと怖さ、両方を知りつくしながら水環境への関心を深め・高めようという、住民・行政・NPOなど多様な人たちが集い、お互いにほめあい・たたえあい・元気づけて、次の活動への英気を養おうという会合です。
このフォーラムの最大の特色は「公開審査」方式。審査員が密室で審査・評価をするのではなく、審査員とされた人たちも公開の場面で1票ずつ「なぜ」と理由を語りながら評価。背中に参加者の熱い・厳しい視線を感じながら限られた票数を「ここへ!」と発表者パネルに付箋をはっていく時の緊張感。この緊張感から新しい創造的な活動やアイディアが生まれてきます。いいかげんに決めると発表グループからブーイングです(微笑)。
北井香実行委員長たちの市民委員会が、滋賀県流域政策局の職員と協力しながら、滋賀県では9回目となるフォーラムですが、起源は1998年に東京で始まった全国レベルの「川の日ワークショップ」です。今日も、この仕掛けをなさった山道省三さんや、常連参加で場面スケッチが見事な片寄俊秀さん、など、多彩な方たちが応援に来てくださいました。
振り返ってみると、昭和30-40年代にすすめられた高度経済成長期の国土改編の中で、もっとも大きく変わったのが河川や湖・海辺などの水辺でしょう。都市の拡大とともに水道用水需要も高まりました。また特に昭和20年代から30年代の伊勢湾台風などの水害被害に悩まされてきた人たちにとっては、川や海辺をできるだけコンクリートで固め、上流部には多目的ダムをつくって治水の安全度を高めることが悲願でもありました。
その間に、日本人にとっての自然豊かな、なじみの風情をもった川がどんどん変わっていきます。水質汚濁だけでなく、川辺の物理的改変で川辺林は切り拓かれ、生き物の姿はみえなくなり、同時に川で遊ぶ子どもたちの姿もみえなくなりました。川の生き物だけでなく、水辺で遊ぶ「川ガキ」も社会的な絶滅危惧種に!
このような変化は、行政だけが進めてきたのではなく特に水害被害を受けた住民は「どんな水害でも枕を高くして寝られるような安心がほしい」と治水中心の河川政策を求めました。「カムバックサーモン」や「ホタルを取り戻そう」といっても「人の命が大事か、生き物か」と二者択一を迫られ、生き物や生態系、日本特有の水とのかかわりの文化はどんどん忘れられてきました。
そんな社会的背景をうけて、平成にはいってから、それまでの「治水」「利水」を重視してきた河川政策に、「環境保全」を目的として追加し、河川整備のプロセスに「住民参加」をいれこんでの河川法が改正されます。平成9年(1997年)のことです。全国レベルの川の日ワークショップはこの河川法改正を受けて、その内実を深め・高めようと1998年に環境保全や住民参画、行政と住民がともに「いい川づくりをめざそう」と始まりました。
私自身最初からこのワークショップには審査員としてかかわり、全国の川を愛する住民や行政の方たちと多くの友人をつくらせていただきました。また2004年にはまとめの本、『私たちの「いい川・いい川づくり」最前線』(学芸出版社)を共同執筆しました。あらためてこの書をみると、私自身は「手段的価値」「存在価値」に加えて、これからの川づくりは「交感価値・ふれあい価値」を大切にしようと呼びかけています。知事時代には「湖とのふれあいの再生」を環境政策の柱にもしました。いつになっても進化していません(微笑)。
今日の参加者12団体の活動内容はいずれも、人と人がふれあい、人と水辺がかかわりあい「交感価値」が溢れる活動内容ばかり。それに小学生から中学生、高校生、そして大人と年齢層も広がっています。職業は会社員、公務員、主婦と多彩です。それと今回は静岡県や全国ネットのカワサポなどからの参加もいただき、地理的にも広がってきました。
いよいよ来年は10周年です。どういう企画で盛り上げていくのか、皆さんのアイディアが待たれます。来年は、県庁横に新たに完成した「災害緊急対応」と「生活防災交流」の拠点でもある危機管理センターでお会いできたらいいですね。