Facebook 2016年2月21日

原発関係の最新勉強会・調査について二件の報告です。2月21日。(いつもながら長いです:微笑)。

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2月19日、「チームしが」主催の「第二回卒原発政治塾」にて、細川弘明さん(京都精華大学教授・原子力市民委員会事務局長)に「核廃棄物管理・処分政策のあり方」について講演をいただく。

2014年4月に原子力市民委員会がだされた『原発ゼロ社会への道―市民がつくる脱原子力政策大綱』は、その精緻な現場調査(20ケ所の原発立地地域での市民意見聴取)と、人文社会系から理学・工学系の研究者が一体となっての大変合理的かつ説得的な報告書です。私自身知事時代に「卒原発」をかかげてきた原子力政策の出口としての光明を見る思いでした。

この市民委員会の中心的役割を果たしてきたのが細川弘明さんです。彼とは1970年代の大学学部時代から文化人類学の米山俊直先生の研究室の場などでの研究仲間でした。彼は文学部でオーストラリアのアボリジニの言語学研究、私はアフリカの環境研究をしておりました。その彼がなぜ原発問題に?原点はオーストラリアでのウラン採掘現場がいかに地元地域の住民が大切にしている聖地の環境破壊をしているかに気づいたことからということ。2000年には京都精華大学の環境社会学科の創設にも共にかかわりました。

今回の細川さんの報告のポイントは、市民委員会の最新の報告書『核廃棄物管理・処分政策のあり方』を中心に、廃棄物問題の三大目標は(1)環境汚染の最小化、(2)被ばくの最小化、(3)国民負担の最小化、という国民福祉的にも国民経済的にもわかりやすいものです。

そして何よりも示唆的なのは、政府がばらばらに情報をだし縦割り体系の中で全体像をみせないその仕組みの問題を示したことです。つまり事故廃棄物は環境政策として事故対応の中で個別分断化し、正常運転により出ざるをえない「核ごみ」は今だに「有価物」として錬金術のような「もんじゅ」や「六ヶ所村」での再処理政策などをすすめているそのダブルスタンダードへの疑念です。

それゆえ、具体的には過酷事故で地域に拡散させてしまった「事故廃棄物」と、「正常運転での核廃棄物」を同列に扱い、「もんじゅ」や「六ヶ所村」の再処理の非現実性を前提に、国民の経済的負担の最小化をめざす為にも、消費地と立地地域の両者による意思形成過程を共有化しようと提言しています。今後、東電の経営に国民の経済的負担も想定をして、いかに最悪の事態をふせぐか、大変刺激的な報告でした。

ここでも細川さんは、新潟「柏崎刈羽」の現地調査に行った時のことを言及下さいました。全国の20ケ所の訪問地区で、新潟県だけが県の担当者が市民委員会の会合に、名刺をもって、公的な役割をはっきりさせて参加した、ということ。

以下、新潟での現地調査結果、第1報です。

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2月16日・17日、嘉田自身の科学研究費「地域社会のリスク最小化のための社会学的研究」の一環として、新潟県「柏崎刈羽原発」現地調査。長い間気にかけていた地域の予備調査ができました。まず第一回として、短報をのせさせていただきます。今回のポイントは以下四点です。その成果を短く紹介します。

(1) 日本最大でもある原発敷地の見学、安全施設といわれる各種施設の現場訪問。東電の現場責任者の須永副所長と佐藤リスクコミュニケーターのご案内で1時間ほどかけて現場視察(写真撮影禁止)。説明は誠実なものでしたが、技術的・機械的な場面に集中し、いざ事故がおきた時の社会的対応などについてはほとんど東電側としては意識がめぐらされていないことがわかりました。多重防護に必要な住民視点は全く考慮させれおりません。

また日本海からの寒風ふきすさぶ、また雪模様の中での作業員の人たちの過酷な気象状況を目の当たりにして、いざ事故が真冬におきた時の困難さが実感できました。まさに『原発ホワイトアウト』の著者の怖れを共有しました。あわせて海岸沿いの砂地の地質、地形条件です。泉田知事が中越地震の時に施設が破壊されたことが怖いと言い続けたおられた、その現場感覚を確認しました。

もともと田中角栄さんの地元と言うことで田中人脈の中で東電が昭和42年に立地を決めた土地です。立地のための地形・地質・地震リスク調査などまったくなされていないことが改めてわかりました。(これは大飯原発も同じです。立地の条件調査が全くなされていません)。

(2) 二つ目は、柏崎刈羽には、フランスの「透明化委員会」のような地域情報委員会が日本で唯一機能しているのでその「地域の会」の会長を10年になってきた新野良子(あらのよしこ)さんへの直接聞き取り。新野さんは、行政のトップや地域経済界、住民団体の代表などの会の中で、ともすれば声をだしにくい女性や若者の声を丁寧にひきだし「会話を読み解き」報告としてきたということ。ここ10年で140回の会合を重ね、住民への広報誌も72号までいっています。

そもそも新野さんは地元の老舗のお菓子屋さんの奥さん。もともと栃木県生まれのよそ者(地元では“旅人”や“来たり者”と言われているようですが)なので、自由にものがいえた、ということでした。同じ「よそもの女性」として共感しました(微笑)。

(3) 三点目は避難体制です。30キロのUPZ圏内に7万人以上が暮らす柏崎市が昨年12月に「広域避難計画」をつくりました。これを担当した市議会議員さんからの意見では、「とうてい実効性あるとはいえない」ということ。そして何と避難計画の最後の頁には「今後の課題」として、10項目があげられています。つまり避難計画は不完全ということを行政自らが表明しているということです。会田市長もこの立場ということです。

(4) 4点目は、1980年代から90年代の巻原発廃止の住民運動などを主導してきた方たちからの意見を聴かせていただき、今の新潟県内での世論について、かなり新しい発見がありました。何よりも昨年12月から、「新潟日報」が「東京新聞」と協力をして、果たして原発立地の40年間、ちゃんと経済的利益が地域でひろがったのか、新潟大学の藤堂准教授と協力をして100企業調査をしております。

その結果から「原発立地による持続的な発展は期待はずれ」で「経済的発展は神話ではなかったか」とち密な聞き取りと調査を元に日々の連載記事にしております。また東京都民と新潟県民の意識調査もしております。

見事な連携です。この点については、今後またくわしく報告します。今日はここまでとさせていただきます

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