「知事と県議会の対立報道はなされるべきではないのか?」(その1)。11月21日。また長いです(微笑)。(京都新聞さん、ネット記事検索できず新聞記事転載ご容赦下さい)。
「対立報道でイメージ悪化 京都で近畿議員交流 滋賀県議が不満」という見出しの記事が11月21日の京都新聞に掲載されました。本文は「川島隆二滋賀県議は、所属する自民党県議団が嘉田由紀子前知事と対立した経緯を踏まえ、『報道で知事が良くて、議会が悪いというイメージになった』と不満をのべた」ということです。毎年恒例の府県議交流フォーラムでの川島隆二(長浜市選出)県議の発言ということ。
この報道、川島県議の発言の一部を切り取っているかもしれません。川島県議が知事と県議会のどのような対立政策を意識して発言したのかわかりません。私はそこに同席していたわけではありませんし、どこまで全体の文脈を反映しているのかわかりませんので意見を述べるのはいささか躊躇するのですが、「新聞記事としての意味」は尊重させていただくべきですので、記事で言及されている「前滋賀県知事・嘉田由紀子」当事者として意見を述べたいと思います。
本来、県(市町)議会は知事(市長・町長)執行部のチェック機関ですから、特定の政策について意見が異なるのは当然のこと。それを「そのまま報道」するのはジャーナリストとして当然の社会的責務であり役割であり、ジャーナリストとしての「倫理的矜持」でしょう。なぜそれを川島県議がわざわざ不満を述べるのでしょうか。日本の地方議会と地方首長は、住民に対立が示されない「なれあい議会」が理想と考えられているからでしょうか。執行部と議会がなれないであるなら議会の存在価値はありません。
今さらと思われるかもしれませんが、もう11年も前のことですが、2006年に私が滋賀県知事に就任してから、自民党県議団とどのような意見対立があったのか、3つの争点について振り返ってみます。ひとつは「税金の無駄遣い・もったいない」につながる「公共事業の見直し政策」です。ふたつ目は「子どもや若者が生まれ育たないのはもったいない」という子育て・女性・若者参画政策です。みっつ目は「琵琶湖の環境、壊したらもったいない」という環境政策の三つの争点です。
第一点目と第二点目の争点については、税収は無限ではありません。必要性の低い公共事業については見直しをして「凍結・中止」をして、浮かした予算を人口減少局面にはいった地域社会としては「教育や福祉、安全政策と、借金を減らす財政再建に回しましょう」と訴えました。
見直すべき公共事業は三つ。ひとつは「栗東新幹線新駅」、ふたつ目は当時滋賀県内に計画されていた「6つのダム」、みっつ目は「旧志賀町の廃棄物処分場」でした。2006年7月2日の知事選挙はまさに「新幹線新駅やダム・廃棄物処分場」という「公共事業見直しをめぐる県民投票」が争点化され、結果、現職18万5344票に対して、嘉田は21万7842票と3万票以上の差で当選させていただきました。自民党、民主党(当時)、公明党は現職推薦。嘉田は社民党だけが「支持」でした。共産党は独自候補を出していました。
県民の意思が選挙で示されたということから、民主主義的手続きとしては当然「県民の意思は示された」ということで、公共事業の見直し方針は県議会でも支持されるものと思いました。当時の民主党県議団は「県民の意思は選挙で示された」という判断で、選挙戦では現職支持でしたが、選挙後すぐに嘉田支援に方針転換をしました。しかし自民党と公明党は知事批判一色でした。それゆえ、7月県議会は「新幹線新駅推進」で20人の議員が新幹線新駅問題で議場に立ちました。
「20年以上長い時間をかけてすでに工事も始まっている新幹線新駅を凍結するとは納得できない」「県議会でも予算を承認してきた」「県民からの新駅中止意見書を県議会では否決している」「地元の土地区画整理事業ではすでに土地利用計画が決まっている」「土地所有者238名の利益をどう担保するのか」などという意見。地域政治の経緯を考えると当然の意見といえるでしょうが、納税者である、また主権者である県民の意思が反映された知事選挙結果を尊重するべき知事として政策転換をすすめるのは当然の方針でした。ここで妥協は許されません。
県議会の自民党議員の質疑では、「選挙は“愚民政治の手段”であり、選挙で民意が示されるとは限らない」という“暴論”まで出てきました。しかし、私自身は、選挙民の皆さんの意見を尊重し、またJR東海と徹底的な司法論争などは避けるべきとして、「暴力的中止」ではなく、あくまでも関係者の納得に基づく「穏健的中止」の方針をとりました。
2006年の7月議会、9月議会、11月議会、そして2月議会を経て、また栗東市、湖南市、野洲市、草津市、大津市など、地元の新幹線新駅の促進協議会との意見交換の場を経て、2007年の春の統一地方選挙では、地域政党「対話でつなごう滋賀の会」の県議会議員や民主党議員の当選が増え、自民党は滋賀県政史上初となる過半数割れとなり、2007年の秋10月31日には、工事協定類がすべて終了し、新駅計画の「凍結」(実質中止)が実現することになりました。
この新幹線新駅凍結判断は、必要性の低い公共事業への予算配分をやめて、当時すでに問題となっていた子育てや財政再建にまわそう、という2006年の滋賀県民が滋賀県知事選挙で示した住民としての政治判断です。その11年後の今年の衆議院選挙の引き金となった2017年の9月28日の安倍総理の突然の国会解散をした時の「国難」といえる解散理由も「消費税を財線再建と子育て支援に回す」ということ!すでに滋賀県では11年前にこの政策は知事選挙で争点化されていたのです。
このように考えると、滋賀県自民党県議団は、滋賀県民が11年前の2006年の滋賀県知事選挙でしめした「必要性の低い公共事業をやめてでも、財政再建や子育て・福祉政策に税金をまわす」という県民判断に信頼を置き、誇りをもつべきでしょう。すでに2006年に滋賀県民は「未来を見通して投票行動を行った」のです。この県民意思は今の国政を先取りしていたのです。結果的に、2006年から10年以上、嘉田県政から三日月県政を経て2017年、滋賀県は「長寿日本一、人口あたり出生率は沖縄県に次いで日本で二位」と結果を出しているのです。
それを「知事と対立した」という政局問題だけを強調する川島議員に、その対立の意味を聴かせていただきたいです。2006年の滋賀県民の投票行動は、時代を先取りしていたのではないでしょうか?今や安倍総理が「国難」と言っている、時代の先取りをしていた知事政策と県民の総意に寄り添えなかった自民党県議団の自分たちの政策判断の誤りに反省がないのでしょうか。
ただ「知事と対立した」という政局問題だけを強調して、肝心の政策議論がすすまないことを自民党県議団はどう考えるのでしょうか。この10月の衆議院選挙に滋賀県内の4人の自民党公認候補は子育て政策や財政再建にほとんどふれることなく、相変わらず「公共事業の推進」「土木事業を地元に」「経済と雇用推進を公共事業で」と言っておられることに違和感を持ちました。自分たちの自民党総裁の安倍さんの言われる「国難」政策に会う政策をそれぞれの地元議員がださなくてそれで「国政政党」と言えるのでしょうか。
私自身は、衆議院選挙滋賀県選挙区第一区で自民党議員に敗れ、今や「いち滋賀県民」となり、特に何の権源もない嘉田由紀子としては大きな懸念を感じます。
言い過ぎでしょうか。滋賀県民はもちろん、多くの皆さんのご意見を伺いたいです。安倍さんの「財政再建と子育て支援」の政策、今国政で中心課題となっていること、すでに滋賀県民は11年前に、その重要性を選択し、そして、今滋賀県は「少子高齢化政策」では全国に先駆けての政策結果を出しています。
「長寿日本一、出生率日本一(沖縄をのぞいて)」を実現した滋賀県としては、安倍総理が国難と言っている、「少子高齢化問題」に確実な成果を出しました。
それは「知事と県議会」ふくめて、滋賀県職員や市町首長、職員、県民も含めて、皆が協力をしてきた結果です。その滋賀県民の政策挑戦を次には紹介したいと思います。
タイトルは「知事と県議会の対立報道はなされるべきではないのか?」(その2)として報告させていただきます。