愛媛県肱川ものがたり(その2)「肘川と共に生きる大洲市に 今も残る近江聖人の魂と教えを 今の国土交通省の河川整備に活かしてほしい」。12月8日、また長いです(2500文字)。
♪♪近江聖人の跡とめし 昔の庭は此処ぞとて 日毎日毎に踏みならす
♪♪われらが身こそ嬉しけれ 中江の水の澄みまさる 心をおのが心にて
♪♪誠の道を辿らまし 由緒の藤をあおぎつつ
これは今の大洲高校の校歌。明治42年に旧制中学校時代に制定され、今に歌い継がれている。大洲の市民で近江聖人、中江藤樹を知らない人はいないという。それほど慕われている中江藤樹の銅像が大洲城にある。城の天主を仰ぎながら、故郷近江の方向をみているという。思わず手をあわせて、中江藤樹の故郷近江を思う気持ちに寄り添う。
中江藤樹(1608-1648)は、江戸時代の陽明学者で、陽明学の確立と「知行合一」の道を実践し、「近江聖人」と称えられた。藤樹は近江国小川村(滋賀県高島市安曇川町)に生まれ、10歳のとき、大洲藩初代藩主の加藤貞泰(かとう さだやす)に従って大洲へ移り住み、儒学を究め、好学の藩風を醸成します。27歳のとき大洲の地を離れ、母の待つ近江小川村へ戻りました。17年間の藤樹さんの足跡を今に伝える大洲市民の皆さんに感謝です。
さて、肱川の話に戻します。野村ダムの下流に鹿野川ダムがある。ここも7月7日に野村ダムからの放流水を受けて、緊急放流をしています。直下流の大洲市には緊急放流の連絡が午前5時10分に伝えられ大洲市が住民に避難指示を出したのは7時30分、5分後の7時35分には緊急放流が開始された。鹿野川ダムからの緊急放流で、肱川沿いの集落はもちろん大洲市の中洲地区も水につかり、2800戸が浸水、4名が命を失った。
浸水地域を有友さんに案内してもらった。大洲市中心部の柚木地域では、住宅街の中、二階まで水につかった跡が見える。有友さんの家も、二階まで水につかってしまって、貴重な本などがすべて台無しになってしまったという。ただし、有友さんの家は、同じ屋敷内の少し高いところにお父さんが部屋をつくってくれていて、そこに逃げて難を逃れたという。浸水を想定した家づくりだったようだ。
大洲市はまさに、肱川が肘をまげるように、蛇行していて広い中洲となっていて、そこに町が発達し、川とともに生きてきた町といえる。周辺の農地には、初冬のこの時期でも野菜類があおあおと育っていて、洪水で畑が水につかっても、境界がわかるように、境界木がたくさんうわっています。洪水により運ばれた肥料分が土壌を豊かに潤し、同時に境界争いにならないように、あらかじめ樹木をうえておく。まさに洪水と共存する工夫といえます。
12月1日の晩の大洲市の講演会では、今本さんが、野村ダムと鹿野川ダムの「異常洪水時防災操作」が結果として、河川氾濫をもたらしてしまい、死者や大規模洪水をもたらしてしまったのでは、と講演しました。このダム操作は、「規則違反ではないが、ほかの方法はなかったのか?」と疑問を呈しています。
実は平成7年に、それまで、「一定率一定量」で流したた洪水を、下流の堤防整備が不十分なので、「一定量後一定開度方式」にかえたという。国土交通省のこの言葉はそのままでは私のようなシロウトには全く理解できないが、具体的に鹿野川ダムでいえば、7月7日午前6時までは600トン以下で「一定量」を流し続け、その後流入量が増えたら、ダムそのものを守るために、ある意味、下流の川が溢れてしまうことも前提に、大量に放流するということになる。鹿野川ダムの場合、午前7時の600トンが午前9時には6倍の4000トン近くまで放流することになってしまった。図を示します。
野村ダムでも300トン放流が30分の間に6倍の1800トンになった。それがまさに「ダム津波」のように、下流を襲ったのである。ただ、「下流の堤防整備が不十分」ということを認めていて、その上で定量放流にしたがい、想定量を超える雨の場合には、一層溢れてしまうことになる。これは「下流部は大規模浸水が起きる」と言っているに等しい。つまり「想定洪水」を超えた場合、ダムは危険な存在となってしまう、ということではないだろうか。
今本さんは、平成7年以前の操作方法で今回の雨水を流したらどうなるか、計算をして、講演会で公開してくれた。旧操作ならば、野村ダムは1000トンでおさまり、鹿野川ダムは1630トンでおさまり、野村町や大洲市内での浸水被害はほとんどおきなかっただろうと推測している。
国土交通省は、地元での説明会では「操作規則通りに操作をしたので、瑕疵はない」と言っているが、本省での「異常豪雨の頻発化に備えたダムの洪水調節機能に関する検討会」(委員長 角哲也京大防災研究所教授)の11月27日の資料では、下記の7点が今後の検討項目となっている。特に、(1)や(2)は、今本さんの計算方式も含むものであり、国土交通省も今回のダム操作には反省をしているともいえるのではないでしょうか。それを実行していただきたいです。中江藤樹の言う「知行合一」です。
(1)事前放流での多くの容量確保
(2)異常洪水時防災操作移行前の放流確保
(3)気象予報に基づく防災操作の可能性
(4)洪水調節容量の増大
(5)平常時からの(住民への)情報提供
(6)発災時の住民への情報提供(行動につなぐ)
(7)発災時市町村への情報提供(判断につなぐ)
また肱川の河川整備計画には「河道掘削は行わない」と明記されています。なぜ?と首をひねります。今後、温暖化の影響もあり、ますます「計画規模」をこえる「超過洪水」に対応しなければならない日本の河川政策。
すでにつくってしまったダムはできるだけ有効に使い、今後の財政制約がある中で、「最小の費用で最大の効果」が発揮できるように、「河道掘削」「堤防強化」もふくめて、あらゆる手段を駆使し、果たして巨額のダム建設投資が納税者の国民の理解を得られるのか、透明性をもって、今後100年の河川基本方針の見直しもふくめて、本気で検討をはじめてほしいと思います。
今回、緊急放流で命を落とした肱川流域の9名の皆さんの犠牲に報いるためにも、ここから日本の河川政策の転換がされたら、と期待しています。国土交通省には、中江藤樹の教え「誠の道を辿り」ながら、「知行合一」を、国家100年の計で実践していただきたいです。