Facebook 2015年8月18日

10月3日開催予定の「日本環境会議滋賀大会」(地域環境保全と原子力発電―滋賀からの発信)準備のため、シンポに参加をお願いしている中島哲演さんが住職をつとめる小浜市の「明通寺」を訪問。8月18日(長いです)。

琵琶湖を中心とした滋賀の環境保全と大飯・高浜の原子力発電所の再稼働問題について、若狭と琵琶湖のこれまでとこれからの連携もふくめてのシンポです。びわこ成蹊スポーツ大学を会場とした大会はどなたでも参加できます。関心をおもちの皆さんにご案内申し上げます。

私は「なぜ“卒原発”を琵琶湖から提唱したのか?“被害地元”知事の責任と苦悩」として講演をさせていただきます。元京大の小出裕章さんの講演や、地元滋賀県からは藤井絢子さん、若狭からは中島哲演さん、日本環境会議理事長の寺西さん、立命館大学の大島さんなど、専門家もまじえてのシンポです。

中島さんには3年前に私が主宰する「未来政治塾」で「原発銀座といわれる若狭で、なぜ小浜だけは原発が立地しなかったのか?」お話をうかがい、1960年代からの地道で戦略的な活動を知りました。

その思想と哲学、また実践の迫力に圧倒され、どうしても中島さんが生まれ育った地域と住職をつとめられる「明通寺」を訪問したい、と思っておりまして、ようやく念願がかないました。

セミしぐれがさわやかな、手入れの行き届いた古刹ともいえる「明通寺」を訪問してじっくりお話をうかがい、中島さんの思想と哲学の時間軸の長さ、歴史観こそが、原発への反対運動を支えてきたのでは、と納得できました。

平安初期から1200年の歴史のなかで、もともと天台宗で、比叡山とのつながりを示唆する本尊の薬師如来や国宝三重の塔をお守りしながら、人間として最も大切な「命を守る仏教者」としての祈りと実践を未来世代につなぎたい、という思いを改めて語っていただきました。

そもそも中島さんは、「明治維新以降の日本の“脱亜入欧”の精神構造は、戦後は“脱亜入米”として継承されており、その象徴がアメリカ輸入の原発で、第二次大戦の反省も全くみられないことが、戦後の原発ムラの広がりと深まりを許してしまい、福島事故の遠因となった」という歴史観を語っておられました。

また中島さんは、電力を使う都市部・中央と、原発立地をして電力供給の過疎地・周辺の地域構図も強く指摘しておられ、果たして、若狭の周辺性と琵琶湖も関西の周辺でありながら、実は命の水を供給する上流としての中心性をもつ、この関係性も改めて議論していこう、ということになりました。

私もまさにそこが日本近代と原発技術・システム拡大の歴史・精神史的構造であり、ここから抜け出ていない今の日本の政権は、第二次大戦に反省のない、現安倍政権の歴史観の貧しさと、滋賀県を立地地元に対する“被害地元”と位置づけると同時に、電力利用者として、若狭地域への原発廃棄物を押し付ける抑圧主体になっているかもしれない、という問題も同時に考えていきたいと思います。

 

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