Facebook 2016年6月11日

「竹に生るる うぐいすの 竹に生るる うぐいすの 竹生島詣で急がん」で始まる 能の「竹生島」。東近江市の能登川コミュニティセンターのオープニングにあわせて、地元の皆さんの熱意を結集した見事な舞台でした。お誘いいただいた北川陽子さん、中島みちるさん、皆さんありがとうございました。2年もかけた企画、お疲れさまでした。6月11日。(長いです)。

今、自宅の眼の目に広がる琵琶湖。朝コップ一杯の湖水をいただき、八幡山(鶴翼山)と沖島の山影を東にのぞみ、西には比良山に沈む夕焼けの荘厳さに感動し、自らの言葉が追い付かない琵琶湖の底しれぬ魅力。能の「竹生島」では、醍醐天皇の臣下が、琵琶湖岸・志賀港(今の真野あたりか?)から漁夫の老人と若い女に案内されて釣り舟で竹生島参詣に出かけていく話ですが、我が家の比良嶺の前も通り抜けたのだろうと想像して胸が躍ります。

生活環境史の立場から40年以上、湖と人びとの関わりを研究しながらまだまだ初心者の感覚です。それほどまでに琵琶湖の魅力は深い。琵琶湖の自然と風景に刻まれた先人の言説や思いを少しでも我がものにできたら、という願いから、改めて琵琶湖の文学を学びはじめています。

今日の「竹生島」で何よりも感動した表現は、「緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波をはしるか 面白の島の気色や」という部分です。「(竹生島の)木々の緑の影が湖面に映り、湖底に沈んで、水中に泳ぐ魚はあたかもその木々に登るかのよう。月が湖上に影を映すと、月の中の兎も波の上を走るのかと思われる。なんとまぁ面白いこの島のけしきであることか」。

島の緑の影に湖底からの魚が登る気色を見、湖面に映る月に、月の中の兎の動きを見る!まさに湖底の水底から天空まで、生き物の息吹を湖上風景に凝縮する、という見事な創造的イメージです。誰がこの元の表現をしたのでしょうか?今となっては作者を特定することは困難ですが、当時の人びとの間にこのような感性が潜んでいた証でもあるでしょう。

そして何よりもこの「竹生島」では、天皇に仕える臣下が竹生島で出会う不思議な存在の弁天と龍神が重要です。臣下は女が島に降りるのを見て、「この島は女人禁制ではないか」と疑問を発するが、老人は、島に祭られている弁才天は女体の神であり、島の由来からして女人を隔てることはないことを諭す。そして、自分たちは実は人間でないことを明かし、女は社殿の中に消え、老人は波間に姿を消す。

臣下が待っていると、社殿がゆるぎ、光り輝く姿の女体の弁才天が姿を表して舞を舞う。やがて湖上の波が荒れたかと思うと龍神が現れ、光り輝く金銀珠玉を臣下に捧げて、衆生済度の誓いを表して水中の龍宮に飛んで消え失せる・・・。

「衆生済度の誓い」とは、この世に生きている全てのものを迷いから救って、悟りを得させるという意味であり、仏教用語でもあります。今日の舞台でも、水中の龍神が、まさに宝珠を人間に与える場面が印象的でした。ちょうど、長浜や能登川にある「親玉饅頭」の「宝珠」の形でした!

今日の舞台の写真は禁じられていたので、残念ながらここで紹介できませんが、「滋賀能楽文化を育てる会」と「浦部好謡会」の皆さんの工夫で、能楽で活躍する鼓や太鼓の紹介や、衣装着付けの経過を解説つきで紹介するパートなど、見事な企画でした。

能登川中学校の生徒さんも200名も招待され、伝統文化の意味と重みを体感なさったのではないでしょうか。東近江市教育委員会の女性教育長、市川純代さんも挨拶下さいました。

能舞台は、北川陽子さんたちが工夫をして、湖東の麻織物で、竹生島と湖上を渡る舟が表現されました。見事な近江バージョンの能舞台でした。2年以上かけてご準備くださいました皆さん、ありがとうございました。

8月7日には「滋賀女子100人パワーアップツアー」として本物の竹生島を訪問します。今から楽しみです。企画・準備の皆さま、お世話になりますがよろしくお願いいたします。

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