5月18日、75歳の誕生日祝いのメッセージを大変多くの皆さまからいただき、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。今まで、どれほど多くの皆さまにお支えいただき、育てていただいたかとふりかえりながら、5月20日に一刷りが出版される『子供は誰のものか? 離婚後「共同親権」が日本を救う』(文藝春秋社)の出版をご紹介します。出版に際して聴き取りにご協力いただきました、全国で離婚に伴う親子分断の苦しみに直面しておられる皆さま、またその背景を語り改善の道筋を語ってくださった多くの弁護士や研究者の皆さま、賛否両論が沸き立っている中で、大変困難な出版に協力いただきました編集者の皆さまと文藝春秋社に深く感謝申し上げます。5月19日(1500文字)。
この書は、過去75年間の私自身の日本人の母、祖母としての人生経験に照らして、アフリカ、アメリカ、フランスなど、海外の子育てと家族のありさまと比較しながら、もっともこだわってきた「離婚してもふたり親」が子どもの最善の利益ではないか、という人間としての信念と覚悟をもって執筆したものです。明治時代以来の126年ぶりの民法改正に力をいれてきた政治家として、また社会学研究者としての奮闘の記録でもあります。皆さまにお手にとっていただき、また感想を寄せていただけましたら幸いです。
5月18日(日)「後期高齢者」入りの誕生日をはさんで、二泊三日で、埼玉県本庄市、熊谷市、群馬県伊勢崎市など、生まれ育った地域の皆さんに、嘉田由紀子の全国を視野にいれた国政政治家としての今後の覚悟を語る場を設けていただきました。後期高齢者は、「高貴高齢者」あるいは「幸喜高齢者」などと自分勝手に読み替えて、国政による子育てや教育支援、災害・環境政策への意欲を、力をこめてそれぞれの場で語らせていただきました。
小中学校時代の同級生たちとそれぞれに語らせていただくと、1960年代に、埼玉県の片田舎で描いていた未来の社会のあるべき姿をかなり先見的に見ていたのでは、と不思議な自己の歴史に出会いました。中学校卒業時に淡い恋心をいただいていたNさんが経営する会社を訪問。Nさんはお昼休みに従業員の皆さんに、私の政治家としての思いを語る場を準備してくださいました。高校受験直前に毎週のように書いていたラブレターが、Nさんのお母さんの箪笥の中からお母さまが亡くなられた3年前に発見されたと。なぜお母さんが息子Nさんへの私のラブレターを保存していたのか?おそるおそる見せていただくと、そこには、私自身の当時の、「人間どうあるべきか」「家族とはどうあるべきか」という思いが綴られていました。
何ともなつかしい、私自身が忘れていた中学校・高校時代の自分の過去の思想の片鱗に出会いました。Nさんの家族は私の家族と全く反対の存在でした。「家」という堅固な建物と土地と家名に閉じ込められ、人の心を失っていた我が家と全く対極的な存在でした。Nさんは非嫡出子であり、流しのプロであった義父の死に直面し、中学生でありながら繁華街での流しをしながら、父違いの弟たちと母親の家族の暮らしを成り立たせた。その姿に感動しました。Nさんのお母さまの魂だけでつながっているような家族に見えました。窮屈な家制度の中で息苦しく嫁として暮らさざるを得ない我が母とくらべると、Nさんのお母さんは、なんと自由に家族をつくり、子育てに心を注いでいるか。その対比が当時の私にはなんとも不思議で、家族とは何か、と考える入口でした。
私自身の自己意識を吐露する少女の手紙を受け止めてくれたNさん、Nさんのお母さまが保存してくれていた手紙!!自分の過去の言葉の吐露に出会って、不思議な思いにかられました。この手紙の内容は、少し心の余裕ができた時にふりかえり、自己分析をしましょう。ただ、人と人のつながりを大切にしたい、家族は制度ではない、人と人の支え合いの原点なのだ、というあの少女の時代の心持は今もそのままなのでは、と自己納得しています。
明日も親子分断を防ぐ日本の家族を支援できる方向を、参議院法務委員会で質問します。
