「琵琶湖周航の歌」が大正6年(1917年)6月28日、琵琶湖畔の今津で生れて来年で100周年。これを記念して、来年6月に京大ボート部OBが中心となってすすめる100年前の「なぞり周航」にむけて「県民参加の周航を実現しよう!」、そして加藤登紀子さんにかかわってもらって「びわ湖・水の音楽祭」を提案しよう、という方針が「マザーレイクフォーラム」で提案されました。8月20日。(またまた長いです!)
琵琶湖の総合保全をねらいとした計画(マザーレイク計画)として、平成23年(2011年)に新たな仕組みが提案されました。その柱はふたつ。ひとつは「琵琶湖流域生態系の保全・再生」と、もうひとつは「暮らしと湖のかかわりの再生」です。環境保全計画に人とのかかわりを前面に押し出した計画はめずらしいと思います。当時の知事として私自身もこの方向に責任をもって支持しまとめてきました。それだけ琵琶湖は人とのかかわりが深い自然ということでもあります。
このマザーレイク計画の内実をつめるために、毎年県内外の活動を展開している人たちが集まって「びわコミ会議」が開かれています。「コミ」は、英語の「コミュニティ(地域)」、「コミュニケーション(対話)」、「コミットメント(約束)」の頭文字を表しています。今年は6回目です。
8月19日は大津市内で「びわコミ会議」が開催され、「琵琶湖とビワマス」「魚のゆりかご水田」「中山間地」「市民とのつながり」「びわ湖とスポーツ」「外来魚・外来生物」「水害」など15のテーマでテーブル毎の話あいがおこなれ、それぞれのグループ毎に来年にむけての約束(コミットメント)がまとめられました。
私が今回、びわこ成蹊スポーツ大学の学長という立場から引き受けた「びわ湖とスポーツ」というテーマですが、ビワコミ会議ではスポーツのテーマは始めてでした。なぜ? 環境保全や生態系、暮らしと琵琶湖、というテーマからはスポーツはなぜか「遠い」存在だったようです。
それゆえ今回はまさに暮らしと琵琶湖をつなぐテーマとして、ボートによる抒情を謳い込んだ「琵琶湖周航の歌」をとりあげました。琵琶湖の水上スポーツでは歴史的にも明治の近代化の中での最初の動きが「ボート」です。琵琶湖と京都を水でつないだ明治23年の琵琶湖疏水の開通をきっかけとしてはじまったのが明治26年からの三高(京大教養部前身)の「琵琶湖周航」です。「太湖の琵琶湖を漕ぎ回さねばボート選士の名折れ」と言われるほどの行事でした。
そして大正6年(1917年)の「琵琶湖周航の歌」が周航途中の今津で誕生します。それから数えて来年で100周年になります。その間現在まで、戦争中のような緊急時を除いて、毎年「三校・京大による周航」は続けられてきました。
今回の「びわコミ会議」では、京大ボート部OB会の代表の吉田保さん、周航実現の責任者の武田さん、そこにカヌーやヨットの専門家や、琵琶湖辺の元気な漁師さんである守山の戸田直弘さん、海津の中村清作さん、尾上の松岡正富さん、また長浜市からは松本長治さん、北川陽大さん、高島市今津から山内陽子さん、東近江市能登川から北川陽子さん、なども参加して下さいました。
またビジターズビューロの佐藤良治さん、BSCの井上耕二さん、BBCの西田部長や藤井組の西川興さんなどのクリエータもふくめ多様な分野の人たちの間での「琵琶湖周航の歌」をめぐるテーブルトークとなりました。
その結果わかったことは二点あります。
一点目は、琵琶湖上にはボートだけでなく、ヨット、カヌー、ウインドなど多様なスポーツを皆が楽しんでいますが、これまで種目間の交流は極めて少なかったこと。また同じ湖上で活動する漁業者とスポーツ関係の人たちの交流も極めて少ない、ということでした。また過去130年近く毎年行われてきた周航ですが、琵琶湖畔に6ケ所の「周航歌碑」が作られていますが(小坂育子さんと嘉田のふたりで歌碑ポスターをつくりました)、歌碑の存在はそれぞれの地元であまり知られることなく、地元住民や地元団体と接触する機会も極めて限られていた、ということでした。
二点目は、上のような分断の中にあっても、スポーツの種目の違いをこえ、スポーツと生業の違いをこえ、「琵琶湖周航の歌」だけは共通の愛唱歌になっているということもわかりました。漁師さんも飲み会の最後にはいつも「琵琶湖周航の歌」ということ!ただし、琵琶湖周航の歌は、若い世代にはあまり知られておらず、また琵琶湖を愛する歌として普遍性があるのに、海外などにはあまり発信できていない、ということです。それゆえ今ある文化としての周航の歌の「歌碑めぐり」をしながら、スポーツとしての体を動かす「周航」をつなげることは意味がありそうです。
そこで、来年の琵琶湖周航100年目のボートを漕ぐスポーツとしての「なぞり周航」をきっかけにして、カヌーやヨット、ドラゴンボートやペーロンなど多様な水上スポーツの関係者、また「ビワイチマラソン」や「ビワイチサイクリング」など琵琶湖一周型のスポーツを結集し、地元の人たちも巻き込んだ「県民参加の琵琶湖周航」を実現したら、という提案がなされました。
そのプロセスに、若い人たちをも巻き込んで、琵琶湖周航の歌を次世代につなぎ、また海外誘客などに活用したらどうか、という提案も出されました。そして、次世代へのつなぎとして、今回のテーブルトークには、長浜を中心に活躍している30代の「Lefa」の北川陽大さんも参加をして、アカペラで周航の歌を歌ってくださいました。
これらの提案をまとめ、「水上ビワイチで周航を!」「拠点をつないで周航を!」「世界に拡げよう琵琶湖周航の歌」「次世代につなぐ周航の歌」に加えて実質的には滋賀県の県民歌である「琵琶湖周航の歌を皆で歌い継ごう」(仮称)という県条例を制定したらどうか、という提案もなされました。
来年にむけて、琵琶湖周航の歌を日本中に広めた加藤登紀子さんからもメッセージをいただきました。自らプロデュースして「びわこ・水の音楽祭」のような「スポーツと文化をつなぐイベント」を提案くださっております。
そういえば、加藤登紀子さんは、1960年代の学生時代、当時としてはかなり貴重な「東大ボート部女子部員」だったようです。あの歌の抒情が自ら経験なさっておられたのでしょうか。それゆえの歌唱感動だったといえるのかもしれません。
でも、実現にむけては大変な準備が必要です。かかわる組織も多様です。今日のところは準備のための小さな核らしきものができただけです。来年のコミットメント(約束)実現にむけて、皆さんのご意見、聞かせてください。