Facebook 2025年3月29日 元福島県知事の佐藤栄佐久さんの通夜式に参加させていただきました。

3月27日午後、参議院予算委員会の審議中ですが、時間をいただき、元福島県知事の佐藤栄佐久さんの通夜式に参加させていただきました。3月19日に85歳で亡くなられました。福島県郡山市での通夜式の祭殿は、「うつくしまふくしま」と栄佐久さんが知事時代に自ら名付けられた、安達太良山を中心にした福島の山やまから流れ出す川や緑が再現され、見事な美しいしつらえでした。戒名には栄佐久さまが愛された「碧」や「樹」を入れられたと説明がありました。3月28日。2100文字(長いです、スミマセン)。
佐藤栄佐久さんの存在を私が改めて強く意識したのは2011年3月11日の東日本大震災の福島第一原発事故の直後でした。『知事抹殺―つくられた福島県汚職事件』(平凡社)という書籍を佐藤氏自身が書かれておられました。それも2009年にすでに出版されていました。すぐに取り寄せて読みました。背筋が寒くなりました。国家により都合が悪くなり「抹殺」されたのではと思わざるをえない事件でした。佐藤知事は2006年9月年には実弟が競売入札妨害の疑いで逮捕され、その道義的責任を取る形で9月28日には辞職されました。
私自身は2006年7月に滋賀県知事に現職を破り選挙に勝って就任して、新幹線の新駅中止やダム建設中止などで、滋賀県議会は大半な針のむしろの議会中でした。2006年11月には和歌山県知事の木村良樹氏が、12月には宮崎県知事の安藤忠恕が官製談合事件の疑いで逮捕、起訴されました。4ヶ月間に3人の知事が同じような事件で刑事責任を追及される事となり、大きな波紋を起こしていました。私もその3人の知事のことは強く意識していました。
しかし、2011年3月に、改めて『知事抹殺』(平凡社)を読んで佐藤栄佐久知事の辞任は、国家に都合の悪い方針を出した知事として、国家権力に抹殺されたのではと私自身、理解するようになりました。2011年の東日本大震災直後には、カウンターパート支援として滋賀県は福島県を応援することになりました。避難所の運営や土木復興の支援職員を滋賀県から派遣させていただきました。私自身、被災現場を何度も視察させていただき、その折りに佐藤栄佐久さんをご自宅に訪問し、知事時代のことをじっくり聞かせていただきました。
その時、ご著書にいただいたサインは「耐雪凌霜」でした。本の帯には「原発問題は人災にほかならない。国や東電を信頼し協力してきた人が、今避難民になってしまった。全国の皆さんによく考えてもらいたい」と。1988年に知事に就任したときは、佐藤さんは決して「反原発」ではなく、むしろ推進する側だったという。それが変化したのは、就任から4カ月後の89年正月に、福島第二原発3号機で冷却水再循環ポンプが壊れ、30キロの部品が原子炉内に落ちる事故が起きました。ところが、東京電力から福島県や地元住民にそれが伝えられたのは1週間後。最も大切な関係者である地元住民は無視されたのです。
それ以来、原子力政策に疑問を抱き、東京電力の隠ぺい体質を批判し、情報公開を求めて国に異議申し立てをしてきました。政府や自民党議員とも激しくやりあい、「闘う知事」と呼ばれたこともあります。なぜ福島原発事故は起きたのか、研究あるいは司法の場から追及する仲間の間では、2006年に佐藤栄佐久知事が逮捕されず、あのまま福島県知事をしていたら、電源問題なども意見を言い続け、2011年の原発事故は起きなかったのでは、という無念の思いがよく語られます。そんな無念の思いをこめて、栄佐久さんの仏前に手を合わさせていただきました。
2006年9月に知事辞任をしてその後贈収賄で逮捕され、東京高裁を経て最高裁判所で2012年に懲役2年、執行猶予4年の有罪となりましたが、収賄額はゼロ円でした。前代未聞の事件で、佐藤知事を検挙した検事は、後で村木厚子さんが冤罪で逮捕された、その同じ検事という意見もありますが真相はまだ闇の中です。日本国の国家権力は怖い!と改めて背筋が凍る思いでした。
そして、私の周囲の人たちが「次に国家権力により抹殺される知事はダムを6つも止めた嘉田由紀子知事だ」と言い始めました。特にダム問題については詳しく文字に残しておく方がいい、とアドバイスを受け、2012年には『知事は何ができるのか』(2012年、風媒社)を自らの筆で書いて出版しました。
お通夜の「ご会葬お礼」にはご長男の佐藤栄祐さまが以下のように綴っておられます。
佐藤栄佐久は、令和七年三月十九日、
満八十五歳で、旅立ちました。
戦い切った勇者の最期はぼろぼろで、
最高にかっこよく誇らしいものでした。
一緒に戦って下さった皆さまへ、
父に代わり、深く感謝申し上げます。
地方自治の勇者、佐藤栄佐久さまのりりしい
お姿の前で「耐雪凌霜」という言葉を心でつぶやきながら、
心からのご冥福を祈らせていただきました・・・・合掌。
衆議院の現在の副議長、玄葉光一郎さんは、栄佐久さんの次女の美樹子さんの旦那さまです。玄葉副議長さんが、通夜式で、皆さんに挨拶くださいました。
なお、通夜の後、福島県職員の紺野香里さんが声をかけて下さいました。2011年、滋賀県から福島県に応援に行っている職員さんを慰問に行った時、いっしょに食事をしたことを覚えていてくれて、その時の写真を送って下さいました。紺野さん、ありがとう!
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