Facebook 2025年3月16日 滋賀県立安土城考古博物館リニューアル内覧会に参加

3月16日(日)滋賀県立安土城考古博物館リニューアル内覧会に参加。三日月知事や地元の小西近江八幡市長、小椋東近江市長などによるオープニングテープカットについで、大型シアタールームで「織田信長と安土城―宣教師ヴァリニャーノが見た天下人の城」を見ました。安土城周辺の風景や、城内の絵画などを克明に描いており、迫力がありました。3月18日から一般公開するということ、皆さん、是非、子どもさんやお孫さん連れで見学してみてください。3月16日。(1000文字)
思いおこしてみると、そもそも私が滋賀県に住みたいと思ったのは、ちょうど今から60年前の中学校3年生の時。埼玉県本庄市の歴史大好き少女だった私は、信長の『信長公記』を読んで、信長の社会変革意欲に感動し、信長にあこがれていました。そして修学旅行の京都行きは新幹線だったのですが、当時お金がかかるので、帰路は節約して「修学旅行列車」で東海道線を通りました。その時、安土山の横を通ったのです! 「あの絢爛豪華な安土山は緑の小山、周囲は田んぼばっかり!この田んぼの下に信長の歴史の秘密がかくされている!」と感動し、滋賀県に来たい!とあこがれました。
幸い、1969年に、大学で京都に来ることができて、その後、1970年代から琵琶湖辺の水田農村の仕組みや水環境利用の社会学などを現場調査から学ぶことができました。1980年代からは琵琶湖博物館の提案や企画運営も担い、その間に滋賀県内の村むらをフィールドワークさせていただきました。水や土地の利用の仕組みで信長の先駆的な行政の仕事は「検地」をすすめたことです。土地の面積を測り、収穫した米の量を測る、統一的な度量衡を定め、納税の仕組みである「検地」をすすめました。
太閤検地が有名ですが、実質的に始めたのは信長と言われています。今でいう固定資産税の走りであり、合理的な行政制度の仕組みの原点です。今も野洲市安治という集落には「信長検地」の原本の一部が残っていると言われていますが、私はまだ原本をみたことはありません。大阪大学の脇田修さんが研究していました。
今日は偶然にも、近江八幡の左義長祭りで、派手好きな信長にちなんで、男性が女装をして手作りの山で町内を練り歩き、夜には、日牟禮八幡宮で火をつけて燃え上っているでしょう。ちょうど、今頃の時間です。
私は明日の参議院予算委員会に備えて、東京へ来ました。今週も、石破総理の10万円商品券問題などがあり、国会は荒れそうです。国会報告はまた明日以降、書かせていただきます。
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