立憲民主党、自民党、それぞれの党首選挙がはじまり、国政ニュースもあわただしくなっています。政治活動の中でも忙中閑あり。琵琶湖にうかぶ沖島で、「月見草コンサート」が開催され、小松明美さんたちと行ってきました。昔からお知り合いの画家の鈴木靖将(やすまさ)さんと、こちらも昔からお知り合いの音楽家の関島秀樹さん、沖島も1982年以来、足しげく通った、私に琵琶湖の暮らしぶりを教えてくださった、地元教師の皆さんがたくさん住まう地域です。この稀有な出会いの場にいかなければ、と満を持してでかけました。沖島ならではの舞台設定も、絵もそして歌も見事でした。報告させていただきます。9月14日。(1000文字です)。
鈴木靖将さんはかねてから万葉集の情景をやすまさ風のやさしい絵で表現する事で、琵琶湖周辺だけでなく全国での万葉情景を絵描き「万葉画家」として集大成なさってこられました。その鈴木さんが今回とりあげたのは、柿本人麻呂が沖島を歌った恋歌の「淡海の海 沖つ島山奥まけて わが思う妹が言の繁けく」です。この歌のイメージを月見草で表現なさり、去年から沖島に月見草の種をまき、苗をうえたということ。このイメージを歌詞にして、そこに関島さんがオリジナルな曲をつけて、今回、CD発売にまでこぎつけました。
見事な連携です。関島さんのメロディーもゆるやかに流れるような、沖島の抒情がうめこまれています。心に残るハーモニーです。
関島さんは直前のお願いで申し訳なかったのですが、関島さんのオリジナル作詞・作曲の「橋板のねがい」も披露くださいました。大津市北部の橋板の仲間がお願いしてつくっていただいた歌です。軽やかなメロディで改めて「琵琶湖に虹をかける橋板」の意味を伝えてくださいました。ありがとうございました。
せっかく沖島にでかけたので、こちらもかねてからのお知り合いの奥村ひとみさんとお母さまが経営なさる「汀の精(みずのせい)」で昼食をいただきました。ビワマスのおつくりに焚き物、ビワマススジコ、ゴリなどの琵琶湖づくしの昼食に感謝。また1990年代から前野隆資さんの昭和30年代の写真をもとに琵琶湖博物館時代に、昭和平成の「沖島今昔」の風景変遷を研究してきましたが、その場所も小松さんたちをご案内しました。
でも、かねてからのお知りあいの方が一人二人と亡くなられ、悲しいお話もたくさん・・・・合掌。今後「昭和・平成・令和」の3時代今昔で記録にとどめる必要がありそうです。
今回の月見草コンサートは、「もんての会」や奥村さんたちのような地元の若手の女性たちが、漁協の幹部の奥村組合長さんたち皆さんと協力をして実現できたということ。若い人たたちが頑張ってくれているのが何よりの救いです。鈴木さん、関島さん、藤井絢子さん、皆さん、ご苦労さまでした。