Facebook 2024年8月23日 「片親疎外」研究と実践の主導者 W.バーネット教授をお招きしてのオンライン会議 ご報告

「片親疎外」という言葉、聞いたことありますか?親の離婚の後、片親親権を明治民法以来、130年近く実践してきた日本では、離婚後、親子が断絶して交流がなくなることは当然と思われてきました。いわゆる「縁切り文化」です。しかし、親子の具体的な行き来、交流が無くなることで、子どもが精神的、社会的、経済的課題を抱えることは、学者だけでなく離婚家庭をたくさんみてきた司法の現場からも問題提起をされてきました。たとえば『離婚で壊れる子供たち』(2010年)を記した棚瀬一代さんは、離婚後の共同親権を実践する米国で、親子交流が子どもの成長にいかに大切かを具体的に報告しています。日本では離婚後、特に同居親が別居親を非難したり否定したりして「片親疎外」がおこりがちで、それが子どもの成長に悪影響を与えていることを報告しています。棚瀬さんは2014年に亡くなり、現在、大正大学の青木聡さんなどが研究をすすめてきましたが、まだまだ実証的な研究が不足しています。
そのような中で、今年5月に日本の民法改正で成立した選択的「共同親権」の議論では、「片親疎外」という概念と実態的課題について、賛否をめぐり静かな議論がおきています。そこで、アメリカで「片親疎外」研究と実践の主導者でありW.バーネット教授をお招きして、8月22日、2時間に亙る英語でのオンライン会議が開かれそこに参加しました。主催は「親子の絆 for Japan」の皆さんです。ご準備いただいた皆さんに感謝です。また2時間もオンライン会議に参加いただいたバーネット博士に感謝です。今後もアメリカでの事情をいろいろ繋いでくださるということです。大変贅沢なオンライン会議で、国会議員として嘉田由紀子と梅村みずほさんふたりで参加をし、主催者ふくめて少数で大変充実した議論ができました。長いですが報告させてください(3000文字あります。ゴメンナサイ)。8月22日。
1. 参加者
● 嘉田由紀子参議院議員様、(以下【嘉】)
● 梅村みずほ参議院議員様、(以下【梅】)
● ウィリアムバーネット博士、(以下【B】)
● PCBタケ(新)、(以下【タケ】)
● PCBケン(永松)(記)(以下【ケン】)
Q1 片親疎外の定義です。国際・米国標準の精神医学書でどのように定義されているか。
➢ 【B】ほぼ全ての基準書において、精神疾患や児童虐待として定義されている。但し、片親疎外という言葉の扱いには正確性が必要であり、「Parental Alienation(片親疎外)」という単語を避け、「Paret-Child-Contact-Problem(親子間のコミュニケーションの問題)」や、より噛み砕いた文章でそれが表現されている。(補足:単に疎遠な状態、実際に子供が会いたくない状態などであっても、結果だけ切り取れば片親疎外となり、それらとの混同を避ける必要がある)。
➢ 【B】なお、「Estrangement(疎遠になることを強いる行為)」と表現されている規定もある。いずれにせよ、どの基準書も(正確な意味でいう)片親疎外(ハード)は児童虐待と定義し、その理解は多くの国や州で定着しており、刑事・民事ペナルティまで規定されているのが現状である。
Q2 片親疎外が児童虐待ではないと主張する人々の主張内容・根拠は何か。
➢ 【B】「片親疎外など(そもそも)存在しない」、「洗脳などとは関係なく自然にそうなっているから虐待ではない」といった主張が出されるが、目立った科学的根拠はなく、一部の極左フェミニストが主張するのみで、それが市民権を得ることは基本的にない。
Q3 逆に片親疎外が児童虐待ではあると裏付ける科学的根拠は何か。
➢ 【B】定性面で述べると、(文化・言語・歴史的背景等が異なる)様々な国において既にこの問題は共通して児童虐待であると定義されており、つまりは、状況によって左右される社会的なものではなく、人類共通のもの、生物として普遍的なものであると裏付けられている。
➢ 【B】定量面では幼少期に片親疎外を受けた人達のインタビュー結果を数量的にまとめたものなどがあるので、それらレポートを後日紹介する。
Q4 社会学的な観点において、片親疎外は子供が一方親の有する知的・社会的資源(いわゆる社会関係資本)にアクセスする行為を阻害する行為であるから、社会学的にも児童虐待であるという認識であるが、その理解でよいか。
➢ 【B】YESである。しかし、それは目に見える害悪であるから論争の種にはならず、目に見えないから心理学的な部分が論争に用いられる。
Q5 個々の事例において、片親疎外の被害児童を見分ける術は何か
➢ 【B】5つの基準がある。①児童が現在片親とのアクセスを拒否していること、②その親と以前は良好な関係があったこと、③拒否されるに値する虐待の事実がないこと、④同居親によるEstrangement行為があること、⑤児童が片親を拒否する理由が一般通念上拒否するに値しないこと。
➢ 【ケン】実際に米国の裁判所で親子関係を調査する中、どのようにしてそれらを診断してこられたかご教示いただきたい。
➢ 【B】実はシンプルである。子供にインタビューを行い、その子が「親に会いたい。でも、殴るのはやめてほしい」といったことを述べた場合、会わせるのを躊躇する。逆に、「親に会いたくない」といったことを述べた場合、逆に会わせるようにしてきた。なぜなら、ほぼ全ての事例において、それらの子供は実際に親と会わせてみると、「なんでもっと早く会いに来てくれなかったの」という反応を見せるからだ。子供が両親に会いたがるのは人間の子供である以上は当然であり、それに背く発言をすること自体を疑った方が良い。
➢ 【ケン】アメリカの裁判所が子供の調査を行う場合の手順はどのようなものか。
➢ 【B】①夫婦同席の下で話を聞く、②夫婦個別で話を聞く、③一方親と子供を同席させてそれぞれ話を聞く。日本の場合はどうか。
➢ 【ケン】夫婦や親子を同席させて調査するどころか、夫婦や親子を同席させる為の調査が行われている。昨日まで一緒に暮らしていた親子なのに。
➢ 【B】容易に片親疎外が発生してしまうプロセスのように聞こえる。
Q6 片親疎外の被害に苦しんでいる子供達に対して取るべき手段は何か。
➢ 【B】まずは裁判所に申し立てて裁判所が子供達にカウンセリングなどの治療機会を提供するように指示する。その為には裁判所職員らに片親疎外の状態を見極める為のトレーニングを行う必要がある。
➢ 【嘉】それらに重点的に取り組んでいる国、参考とすべき国はどこか。
➢ 【B】米国も含めて多くの国がそれらを法律等で明確に規定しているが、特に重点的なのはデンマーク。
Q7 それら片親疎外に苦しむ児童を守るために立法機関ないし社会福祉制度が取り組むべき点は何か。
➢ 【B】何にも増して教育である。特に児童保護の業務に関わる機関。次いで裁判所。自分もテネシー州の裁判所で職員らへの教育を行ったが、それらの人々が片親疎外の問題を理解していないと、非常に深刻な問題を巻き起こすことになる。
➢ 【ケン】日本では一方親にDVや虐待が「あったかもしれない」という理由で容易に親子断絶が引き起こされ、気づけば、裁判所や児童相談所が他方親による「明確な虐待、片親疎外」を支援する事態に陥ってしまっている。
➢ 【B】教育の欠如がもたらす害悪が正にそれである。一般的に考えて、子供を親に合わせないという行為は強烈な虐待であるが、理解していないと当たり前に気づかない。共同監護は非常な概念であり、50%50%の監護を法律で明記している州もある。
Q8 その他自由質問。
➢ 【嘉】共同監護の重要性は子供の発育が進めば進むほど顕著に現れる理解でよいか。
➢ 【B】その通り。自我が成長すればするほど表面に出てくる機会が増す。
➢ 【嘉】日本の単独親権は旧来の明治時代以来の家制度に起因するという見方がある。当時、子供は家長である(基本的に)男性の所有物としての扱いを受け、その後、第二次大戦後、男女平等が謳われ、その中で女性親権の主張が生まれ、気づけば子供が絶対権限者である女性の所有物としての扱いを受け、今、ようやく、本来的な意味での「男女平等」に移り変わろうとしている。
➢ 【B】50-100年前の米国と全く同じ。米国も、昔は、子供は男性の所有物で、その後、女性の所有物となり、極左のフェミニストが台頭したが、それらはノイジーマイノリティであって、サイレントマジョリティーは別の見方をしており、約50年前、社会が「男女は平等だ」ということに気づき、アリゾナ州で共同親権が導入されたところ、瞬く間に市民権を得て全米に広がった。
➢ 【タケ】日本は米国の50年前を過ごしているだけなのかもしれない(苦笑)。
➢ 【梅】バーネット教授が片親疎外の問題に取り組む背景は何か。
➢ 【B】最初は友人の話を聞いて興味関心を抱いたのみであったが、実際に裁判所で親権の問題を担当して実務を進める中、子供達にとって非常に深刻な問題であると気づかされ、以降、アカデミックな分野を中心にこの問題に取り組むようになった。
➢ 【嘉】真の男女平等社会、共同養育が行われる素地となる社会を作り上げる為には何が必要か。
➢ 【B】教育も必要だしマスコミによる実態的事実の報道も必要で、時としてデモなども必要であるが、何より、政府が変わることが重要であると思う。
長い議事録におつきあいいただきありがとうございました。多くの皆さんには冗長な文章でしょうが、離婚経験者や子ども連れ去り被害当事者の皆さんには大変大事な情報と思います。コメントなど、遠慮なく寄せてください。今こそ、社会的議論が必要です。親子交流の必要性は人類普遍であるという主張は心強いです。
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