水を使わず微生物で分解して屎尿を肥料化する「バイオトイレ」をご存じですか?大津市葛川貫井町(安曇川上流)の澤井栄子さん宅で「碧い琵琶湖」の村上悟さんたちが最近設置した「バイオトイレ」を見せてもらいました。澤井さんは、「トイレを使うというより肥料を作っているという感じでうれしい!」と言っておられました。屎尿再利用の見事な生活!澤井さんのご了解をいただき紹介させていただきます。12月11日。(また長いです)。
明治維新以降、日本が欧米の技術導入をしながら経済発展できた要因は複数ありますが、あまり誰もが指摘しませんが、農学を学んできた者として私自身が重要視してきたのが「屎尿の徹底再利用で農業用肥料を自給してきた日本農法」と分析しています。滋賀県あたりでいえば化学肥料がはいるのは昭和30年代以降で、それまでは「人間の屎尿」「琵琶湖の水草(底泥)」「里山の下草・枯葉」が重要な自然肥料でした。
それゆえ一滴たりとも人間の屎尿を無題にしないように、小便と大便を分離して、小便(尿)は風呂の落とし水等とあわせて「実もの、成りもの」というナスやキュウリなどに使い、大便はまさに「糞」(米が異なる)というように、数か月間、嫌気性発酵させて大腸菌を死滅させ、米や麦をつくる「水田」の肥料にしました。その発酵場所がいわゆる「野壺」です。
結果として、屎尿を一滴たりとも川や池や湖、つまり水域に流さないという屎尿の土壌還元文化(これを私は屎尿と仲がいい「屎尿親和文化」と名付けてきました)が、川や湖を衛生的に美しく保ち、結果として「清流・せせらぎ文化」を維持してきたと考えています。昭和30年代の琵琶湖畔の320集落調査ではその20%が川水・湖水を直接飲み水に使っていました。
その清流を守る暮らしぶりを具体的に再現したのが琵琶湖博物館の冨江家展示で、黒光りするオケブロ(ゴエモンブロとも言っていました)の落とし水は、横にある小便ダメと一緒にほぼ毎日「肥持ち」をされ、野菜畑などに運ばれ肥料にされていました。大便所は南側にあり、数ケ月に一度、水田等に運ばれます。その物質の流れ図を添付します。
さて、昭和50年代以降、水洗便所が普及し、大量の水を使って屎尿を管で遠くまで流し、処理場でいったん浄化はされますが、最終的にはそのほとんどが琵琶湖に流れ出します。そして上水も琵琶湖からとる。という水の流れからすると、屎尿はできるだけ小さな領域で再利用することが、土地の地力維持や作物生産、水域の汚染防止に有効です。
前置きが長くなりました。ということで、澤井さんの「バイオトイレ」はまさに、畑で使える肥料づくりをも意図して導入されたということ。これまではいわゆるぽっとん便所で畑に直接屎尿還元をしていたけれど、年をとって「肥持ち」もしんどくなったのでバイオトイレにした、ということ。もとより最初から水洗便所を使うつもりはない、という。
使用は簡単、ぐるぐる手回しをして微生物が活発に働けるように樹木チップに空気を流しこみ、分解した空気は排気筒を伝って外へ出す。自動的に樹木チップが肥料化され、1ケ月に一度くらい、トイレの台下からチップをぬいて畑に散布するだけ、という。においもほとんどない。11日は村上さんが追加工事にきてくれて、最終調整をしておられました。
下水道菅をつなぐには多くのコストがかかる山間部や別荘地などにはうってつけです。設置コストも驚くほど安い。水洗便所にして浄化槽を設置する10分のⅠくらいでできます。経済的にも賢く、環境的にも配慮がきいてバイオトイレです。
その上、澤井さんのお宅には、庭に大きな岩が突き出していて、そこから自然の湧水が流れでている。上流の山中から引いているということですが、今日はトチノミの水さらし、と言って水漬けされていました。またこの水は台所にもひかれ、四六時中湧水が台所をうるおしています。
出していただいたお茶も自家製ということ。一年分を裏の庭で育てていました。琵琶湖上流の安曇川沿いの暮らし、水洗便所を使わず、水を汚さず、下流への配慮もしていただいております。
「碧い琵琶湖」の皆さんの、まさに琵琶湖周辺でエコライフを実現する活動、こういうところでも大活躍です。村上さん、澤井さん宅のくらしぶり、ご紹介くださいましてありがとうございました。