7月15,16日と北海道札幌市へ出かけました。国として共同親権法案が成立した後の、離婚に直面しても親子の縁つなぎの家族文化をつくりあげるための自治体での活動推進と、実子誘拐に遭ってしまった連れ去り被害者ご家族への聴き取りをさせていただきました。17日から19日も、東京都や千葉県、埼玉県での連れ去り被害者の聴き取りに集中。それぞれが突然の子どもさんとの分離で、大変つらい経験ばかりで、聴かせていただくこちらも心が折れてしまいそう・・・当事者はどれほど辛かった事でしょう。ほとんどの方が「自殺を考えた、でも子どものために生きなければ・・・」と自らをふるい立たせて生きてこられたという。子どもを取り上げられて自殺してしまった母親のお母さまのお話も伺いました。つらいです。この聴き取り結果をどうにか社会的に知らせなければ、と出版社との交渉もはじめました。北海道と首都圏での聴き取りの後、19日(金)夜遅く滋賀県に帰り東近江市八日市駅前に宿泊。20日(土)は朝の東近江市から午後高島市、そして夕方には大津市の近江舞子でのイベントと三つの会合で「トリプルヘッダー」の行事でした。できるだけ簡略に写真中心で報告させていただきます。7月20日。(1700文字、また長いです)
朝から、東近江市の愛東コミュニティセンターで「東近江市戦没者追悼式」に参加。各小学校区ごとに遺族会の代表が、戦死をなさった英霊名簿を祭壇に捧げ献花をして、東近江市全体で3100人の御霊に祈りをささげました。私も来賓として献花をさせていただきました。戦跡訪問の湖東中学校の子どもたちの感想文披露とともに、「あかね児童合唱団」の合唱も披露されました。7月7日の近江八幡での「第6回びわ湖音楽祭」に参加いただいたあのグループです。琵琶湖周航の歌も披露下さいました。
知事現職の時代に企画・開館に力をいれた「滋賀県平和祈念館」が会場の隣にあり、館長の朝倉敏夫さんにご案内いただきました。朝倉さんとは国立民族学博物館での活動を通じて以前から知り合いでしたが、今回「戦場となった南洋の島々」など、田井中学芸員とともに丁寧に展示を案内いただきました。大正初期第一次大戦後のドイツ領パラオ島などが日本の統治となり、ここは島民の数よりも日本人が多かったということで今も日本語の名残が残っているということです。
東近江市を後にして北まわりで湖西の高島市今津町へ。「湖西線開通50周年記念式典」に参加。主催者として滋賀県の三日月知事、大津市の佐藤市長、高島市の福井市長、長浜市の浅見市長に加えて、ハイライトは「滋賀ふるさと観光大使」の西川貴教さんです。「一日駅長」のいでたちで、パネルディスカッションに参加をして、最後には、「琵琶湖周航の歌」を全体で歌う場面にも参加くださいました。会場には西川貴教Tシャツのファンの皆さんがたくさんおられました。うれしく、ありがたいことです。
最後は、近江舞子の白汀苑で「シガーシガ」の山崎純敬さん、岡山泰士さん、光川貴浩さんたちが主催をする「移住者交流会―YOHAKU―湖岸でミーティング」に参加。夕方の「琵琶湖の恵みをいただくディナー」に飛び込む。小松聖児シェフの琵琶湖産淡水魚類を活用したラオス料理は、いついただいても見事な見栄えと味わいです。湖西ぐらしの動画も当たり前の静かな映像が見事です。そして最後には守山在住のバイオリニストの山本さんによる「琵琶湖周航の歌」の湖辺に映える編曲が心に響きました。
振り返ってみると、きょうは3つのイベント全てに琵琶湖周航の歌が登場し、そしてまさに自分が湖東、湖西、大津へと周航と逆方向で、琵琶湖を半周した一日でした。琵琶湖水神の薬師如来さまが、人びとの命を守りおだやかな幸せを、今家族との分離で苦しみ、悩む私たち世俗の人間に与えてくれることを祈る夜です。1週間ぶりに比良浜の自宅に帰り、満月に輝く琵琶湖に祈りをささげました。苦しむ家族とこどもたちにご加護と安寧を!