文化の日。琵琶湖北部の高島市旧マキノ町「海津・西浜・知内」の暮らし再現の街角ギャラリー・オープン記念の講演会に参加。重要文化的景観指定をきっかけとした町づくりに心を注ぐ地元の皆さんと古写真を見ながらのトークショー。合わせて現場訪問で昭和時代の琵琶湖辺の暮らしを追想、琵琶湖辺には「橋板」など、永遠の文化的景観が活きていることを確認。楽しい、心やすまる一日でした。11月3日。文化の日にふさわしい出会いでした。(長いです)
近代科学技術文明の賜物でもある上水道や下水道、遠いところからの電力・食糧供給が万一の災害などで失われた時に、代わりとなるのが、「近い水」「近い食」「近いエネルギー」「近い人」の仕組みです。現代人の不安を安心に変える社会的仕組みの価値。この安心が滋賀県高島市には隠されていることを今回の講演では改めて発信させてもらいました。
戦後の急速な近代化の中で失われつつある日本固有の生活や風土に結び付いた棚田や里山・里湖の景観の重要性が1980年代以降、見直されるようになりました。背景には地球環境ブラジル会議での「生物の多様性保全条約」の動きがあります。
しかし、国際的には生物多様性といいますが、自然と人間の暮らしが「近い」日本では、生物の多様性が文化の多様性と近い関係にあること、特に人びとの農業や漁業などの生業・生活と生物の多様性の関係性の究明こそが必要と、私自身、当時の環境学者として文化庁や環境省に訴えました。
そのような影響もあったと思いますが、1990年代に文化庁が、文化財の概念を単一のモノから景観や人と自然の関係性に視点を広げました。当時の委員会の第一期委員には、京大の金田さんや、私は琵琶湖博物館準備室員として参加しました。琵琶湖は人びとと近い自然であり、その強固な繋がりの実態を、ヨシ群落利用や、琵琶湖水の生活利用、漁業文化について力説しました。
2000年代にはいり、「改正文化財保護法」(2004年6月公布)で「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地」を文化的景観として定義し、文化的景観の制度が発足しました。
結果、日本で最初の重要文化的景観の第一号としては「近江八幡の水郷」が2006年1月に指定されました。2008年には日本で5番目の指定として、高島市の「海津・西浜・知内」があげられ、ついで2010年には新旭町のカバタ文化の「針江・霜降」が指定され、2015年には、信長時代のびわ湖岸の城跡遺跡と、山水などを「古式水道」として活用する高島市大溝が選ばれました。
今回は高島市のひとつのチャレンジであり、今後、針江や大溝にも展開していけたら願っています。
今回、企画実現にご努力いただきました藤原さん、山本さん、本田さん、はじめ皆さま、ご苦労さまでした。