Facebook 2016年11月14日

「橋板」用の杉を伐採、葛川在住の「森の仕事師」桂貞徳さんと伊藤さんにお願いをして、樹齢70年ほどの杉材を5本、伐採しました。来年春まで、枝をつけたまま乾燥する、伝統的な方法をとり、それから板にひき、湖岸の橋板をつくります。11月11日。

11月は樹木伐採の季節です。木が地下から水を吸い上げる量が減る秋は、樹木伐採シーズン。昨年の夏から準備をしてきた、大津市北部での琵琶湖岸の橋板づくりですが、10月16日には「又木」を求めて南比良の山に入りました。今回は、橋にする原料づくり。地元の中村利男さん所有の山から杉材を5本ほど、分けてもらうことになりました。

中村さんの見立てで決めた5本。桂さんはまず周囲の小枝類をはらって、いよいよ本体の伐採。直立している杉の倒す方向を定めるために、数メートル上の幹にロープをかけるという。どうするかと思ったら、靴にくさびをつけて、まさに忍者のように幹をどんどんあがっていく!板についている、見事!

ロープをかけてから降りてきて、いよいよチェーンソーで幹に傷をいれる。倒す方向に「受け口」をつくり、スキマをつくって、反対側から「追いつり」として伐採にはいる。チェーンソーだと意外とあっけない。1-2分で、直径50センチほどの杉が反対側に倒れる。真ん中に「ちょうつがい」という壁のような切り残しをおいて、倒す方向を定める。

最初に切り倒した木は、年輪をかぞえると70年。ちょうど戦後間もなくに植えたものだろう。所有者の中村利男さんも、「わしとおんなじような歳か!」と感慨深そう。戦後間もなくの頃、当時は、未来への大きな期待をもって、杉を植えてくださったのでしょう。昭和30年代から40年代、日本の住宅建設のラッシュ時にはひっぱりだこだったスギやヒノキ。

昭和39年、東京オリンピックの年には、外国からの木材輸入が完全自由化され、その後、よく知られているように、輸入材におされて国産材の価格はさがる一方。労賃や機械代金もあがり、林業の切り出しコストは上がり続け、林業経営がなりたたなくなっています。この南比良も例外ではなく、森の経営は割にあわないということ。

さて11日の伐採では桂さんたちが反日かけて5本を切ってくださいました。ありがとうございます!以前、知事時代に、干ばつ材の伐採を経験させてもらったことがありますが、細い木で簡単に切れてしまった。こんなに太い木を眼の前で切ってもらうのは始めての経験。66年も生きてきて、水源としての森林が大事だと言いながら太い樹木伐採の仕組みも知らずにいた!我ながら経験不足を恥じ入ります。

森の中には自然ばえの柿もあり、柿の実もいただき、秋の風情も楽しませてもらいました。来年の春、橋板の長さに切断して、森から運びだして製材をしていただき、いよいよ本格的な橋板づくりをすすめます。

「橋板」をつくるなら、浜辺の蔵を改造して、昔の暮らし展示のような資料館をつくって子どもたちに伝える場をつくろうか、という話も生まれています。だんだんに、盛り上がりはじめています。そもそもが滋賀県立大学の上田洋平さんたちが地元の皆さんと描いた大津市「南比良ふるさと絵屏風」に描かれた湖岸の洗い場、「橋板」を再生しよう、というところからはじまった「橋板」づくり。

明日14日のスーパームーンが曇り空ではないか、と今晩、私自身、浜口喜三朗さん作成の橋板を取り出し、浜辺に自生するススキとシオンを飾りました。雲間に輝くプレ・スーパームーン。浜辺の橋板は、水の自然美の世界への橋架けも果たしてくれます。お月さんには、琵琶湖はどう見えているでしょうか?

先頭に戻る