Facebook 2024年4月24日 「第27回くまもり全国大会総会」に参加しました。

4月21日「第27回くまもり全国大会総会」が兵庫県尼崎市でひらかれ、小松明美さん、村上美和子さんたちといっしょに参加しました。九州から北海道まで都道府県の支部長中心に180名が参加。全国29の都道府県に支部があり,会員は21000人を超えています。年1回の総会によくぞこんなにたくさんの人が、まさに旅費自弁で集まってくださいました。昨年から今年にかけて、餌不足の山からクマが人里にでてきて人的被害がふえているというニュースをきいていると思います。それにあわせて捕殺されるクマも増えています。去年から今年にかけて全国で8000頭をこえるクマが捕殺されているようです。クマの生息数は諸説あるのですが、1万5000頭とか言われているところをみると捕殺しすぎ、絶滅しないかと大変心配になります。できるだけ短めに報告します(でも長い:微笑)。1800文字。4月23日。
滋賀県では私の知事時代から「捕殺ゼロ」を目標に人的被害を防ぎながらクマが棲める奥山の保全を進めてきました。日本全国を見渡すと九州ではすでに昭和30年代に、山頂部までスギやヒノキの拡大造林がすすみ、広葉樹林が破壊され、餌を失ったクマは絶滅しています。熊本県には、シンボルのくまモンはいてもクマはいません。四国にはかろうじて10頭あまりが剣山系で生息しているだけです。日本本土では、千葉県ではクマの生息は確認されていませんが、首都圏でも東京都や埼玉県でも山間部にツキノワグマの生息は確認されています。クマが棲める森がなぜ必要なのか?生物多様性の保全地域であるとともに、災害を防ぎながら、都市住民の水を支える源流地帯でもあるからです。
くまもりの会では、捕殺ではなく人の暮らしとすみ分けを、という運動をしてきました。集落内では柿や栗などの実のなる木から実をとり、集落周辺に被害防止策などをつくり、すみ分け対策をと訴えてきました。たとえば兵庫県豊岡市では、熊森の会員が地元の皆さんと協力をして、人身事故ゼロを実現しているということ。また、クマが住む奥山を守るために奥山保全トラストをひろげながら、同時に森林を破壊する風力発電などの拡大を阻止する運動もすすめています。滋賀県でも2018年に長浜市木之本町のトチノキ巨木保全のための募金運動をした時、熊森会員の皆さんがたくさんご寄付くださいました。恩人です。
くまもりの会の起源は今から30年ほど前の1992年、当時尼崎市内の中学生だった女子生徒たちが「ツキノワグマ環境破壊に悲鳴」というクマの絶滅を危惧する一枚の新聞記事から衝撃を受けました。クマに責任はない。人間がクマを絶滅させてしまっていいのか、と当時の兵庫県の貝原知事や環境庁に直訴しました。生徒たちの動きにほだされた理科の先生の森山まり子さんを会長に、大学生になった元中学生たちと市民が1997年にいっしょに立ち上げたのが「日本熊森協会」です。そして2018年からは、1992年に最初に声をあげた中学生のひとり室谷悠子さんが会長となって、全国各地の支部活動をひろげながら、国会での請願活動などもすすめてくれています。
室谷悠子さんは今やふたりの子どもさんをかかえるお母さん。そして環境保全を中心に自然保護などを法的にささえる弁護士となっています。実は室谷さんが最初に学んだのは京大文学部の環境社会学でした。指導教員は私の環境社会学仲間の松田素二さんです。ちょうど2006年、私が「学者が何十冊本を書いても自然破壊のダムひとつ止められない」と政治変革をめざして知事選挙に挑戦をした、その決心に共鳴をして自ら法学部に挑み、弁護士資格をとって、実践的な環境保全運動に動きだしたということ。後から聞いて、私自身も逆に刺激をうけて、共鳴をして熊森の支援活動をさせてもらっています。
日本熊森協会は、アメリカでの自然保護団体のリーダーでもある「シェラクラブ」をモデルにしながら今後も会員拡大と実践的な自然保護活動の力をつけようとしています。50年前の1972年、『成長の限界』を記し、地球規模の環境破壊に警鐘をならした「ローマクラブ」の活動。そして最近、東大の斎藤幸平さんという経済史学者が解明をしたことですが、資本論を書いたマルクスも今から170年前の1850年代に、資本主義が進んだら、水や大地の自然破壊が進むと警鐘をならしたという。経済思想家でもあり哲学者のマルクスの思いにこたえながら、日本熊森の会の活動にかかわりながら、次世代に期待を寄せたいと思います。
日本熊森協会の願い
~祖先への感謝、未来への責任、生きとし生けるものへの畏敬の念~
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