Facebook 2024年4月21日 近江神宮の春の例祭と、日本画家の鈴木靖将(やすまさ)さん80歳記念「世界の風景画個展」

4月18日、参議院本会議で離婚後の共同親権導入をめぐる民法改正審議がはじまりました。この件についてはまたのちほど詳しく報告します。19日、朝から大津市近江神宮の春の例祭に参列。近江神宮のご祭神で、今から1357年前の667年に大津京をひらかれた天智天皇に玉串を奉って、大津、滋賀、日本国の安寧をお祈りしました。斎藤アレックス衆議院議員、野田武宏滋賀県議会議員と朱塗りの楼門前で写真撮影。新緑が楼門に映えて美しい。そして午後には、『大津京と万葉歌』の著書もある日本画家の鈴木靖将(やすまさ)さんのお宅を小松明美さんといっしょに訪問。少し長いですが、大津京づくしです。おつきあいください(微笑)。1800文字。4月19日。
鈴木靖将(やすまさ)さんは、『湖の伝説:画家・三橋節子の愛と死』という梅原猛さんの著作で有名となった三橋節子さんの旦那さまです。三橋節子さんは、私の大学時代の「農業史」の教授・三橋時雄さんのお嬢さん で、直接お会いしたことはないのですが、がんに侵され利き腕の右腕を切除した後にも、左手で琵琶湖の伝説にまつわる大作を残しておられ、今大津市長等の「三橋節子美術館」で作品の保存・展示がなされています。『雷の落ちない村』という琵琶湖畔の村の幼い子ども(兄・妹)の物語は、わが家の子どもたちの幼い時の読み聞かせ本でした。
鈴木靖将さんはここ数年、入退院を繰り返しておられると聞いていたのですが、1944年生まれの鈴木さんの80歳記念に「世界の風景画個展」を開催しているということで長等のご自宅兼ギャラリーに伺いました。少しやせられましたがかくしゃくとしておられ、奥様の晴嵐さんは陶芸家ですが変わらず若々しいです。かいがいしくお世話をなさっておられるお姿を大変ほほえましく安心しました。鈴木さんの万葉画やホタルの絵など、何千作も描かれていると思いますが、鈴木さんの社会活動家としての大きな隠れたお仕事を二点紹介させてください。
一つは「湖西線西大津駅を大津京駅にかえた運動の担い手」でした。湖西線が開通した昭和48年当時「西大津駅」だった湖西線の駅名を、天智天皇とゆかりの深いこの地にふさわしい「文化の薫り高い街づくりの一助に」ということで「大津京」にしようと住民運動を立ち上げました。実はJRの駅名を変えるのは、その場所の駅名だけでなく、全国の駅名入りマップや各種印物もかえなければならず、JRとしても数億円コストがかかると言っていました。住民運動の力で市議会や市長に呼びかけ、JRをうごかし2007年に駅名が「大津京駅」にかわりました。
もう一点は、この春の桜のシーズンも、京都市の蹴上と浜大津をつなぐ「琵琶湖疏水に通線復活」となり、観光客が押しかけ、予約はすぐに満席になるほどの人気です。実はこの運動は、鈴木さんが発起人であり、歴史小説家の徳永真一郎さんを代表として、1985年に「琵琶湖疏水とさざなみの道の会」という市民活動から始まりました。私は当時琵琶湖研究所研究員で、明治期の琵琶湖疏水は舟による物資移動が主要目的でした。その本来の目的を活かして、観光水路として大津と京都がつながることにワクワクしました。
この動きは、越直美大津市長と門川市長が引き受け、2014年に大津と京都を水路でむすぼうと「琵琶湖疏水船下り実行委員会」がたちあがりました。その後も継続して春と秋に試行事業を実施し、専属ガイドの育成や疏水通船を組み込んだパッケージツアーの企画の実施など、本格事業化に向けたステップアップを図ってきました。今年からは、疏水から浜大津港までつながり乗り降りもしやすくなりました。鈴木さんはこの間、一貫して「通舟復活イメージ」の絵を描き、絵ハガキにして社会的にひろめてきました。
私は個人的には、2006年の滋賀県知事選挙に立候補するときに、政治に大地震をおこす「ビワコオオナマズに乗る嘉田由紀子」を描いていただき、シンボルとして使わせていただきました。手にはホタルブクロ。そして鈴木さんの作品の中で一番好きなのが、ホタルと伊吹山、そこに三日月という情景の絵です。今日も鈴木さんのギャラリーに飾ってありました。
鈴木さんの個展は5月31日まで、大津市長等1丁目の「三橋節子美術館」のすぐ横のご自宅ギャラリーです。150年前の古民家で、竹藪にかこまれたすてきな癒しの空間です。是非、訪問してみてください。
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