明日、2月15日から16日にかけて、京都の「総合地球環境研究所」で、「超学際研究における政策を再考する」という国際会議が開催されます。その最初の基調講演を受けました。ちょっと大役ですが、過去50年間、アフリカでの人類学調査に始まり、アメリカでの留学で、日本の水田文化の持続性の研究を指導教官から示唆されました。1974年、ちょうど50年前に琵琶湖辺彦根市の集落での水田コミュティー調査を始めました。過去50年の研究と政策実践について、英文でまとめました。最近政治家となってからあまり英語での口頭発表がなかったので、ちょっと緊張しています^_^。
1981年に、滋賀県立の琵琶湖研究所の社会、文化系の研究者として採用され、高島市などを中心に、琵琶湖辺の集落での水利用や漁業、生活文化などを「生活者目線」で研究をはじめました。地域の共同体の資源保全や共同体の結束を地元から教えていただきました。当時、滋賀県の人たちは「琵琶湖は汚い、ゴミだらけ」という認識が強く、古代湖としての琵琶湖の生物多様性の価値や、縄文弥生時代以降の文化的価値も注目されませんでした。そして多様な生き物の存在もあまり知られていませんでした。
そのような状態から、1985年に琵琶湖博物館の提案をし、1990年代から本格的に博物館の企画、建設、運営に関わってきました。1996年に琵琶湖博物館が開館し、今までに約1200万人の方が訪問してくれています。この狙いはまさに「超学際研究による琵琶湖の価値の見える化であり、琵琶湖の自分化」です。そこから「魚のゆりかご水田」政策や「琵琶湖システム」もまとめられ、2022年には、世界農業遺産に指定されました。同時に、かつての集落での水害対応の知恵と実践を、「流域治水」として取りまとめ、2014年には全国で初めての「流域治水推進条例」が施行されました。
「ダムだけに頼らない流域治水」の実現には、2006年に挑戦した、滋賀県知事選挙を経て、県民の皆さんの投票による正当性の付与、つまり政策変更や、新規の政策遂行のための社会的正当性の確保が必要でした。今、国も流域治水を採用していますが、森林から水田、都市部までを含んで河川だけに洪水を閉じ込めきれない時代の中での遊水池や水田活用、また森林保全など、まさに学問、行政分野を超えた学際的実践が必要です。
今回は、国際的視野で、琵琶湖研究や琵琶湖政策の議論ができる場で、ありがたいです。下記のアドレスでオンライン参加希望も出せます。もし興味がありましたらアクセスしてみてください。同時通訳もつきます。