「川遊びから始める流域治水」というシンポジウムを12月3日に徳島県吉野川の川ガキグループが石井町中央公民館で開催してくれました。河川工学の大御所の大熊孝さんといっしょに参加、講演をさせていただきました。大熊さんは姫野雅義さんと野田知佑さんが2000年に始めた「川の学校=川塾」に自らのお孫さんを遠路金沢からつれてきて、そこで育ったお孫さんがとうとう川塾仲間と結婚をして、徳島県庁に就職をして林業政策にかかわっている、というまさに世代をこえて川ガキを育ててきた学者さんです。写真中心に報告させていただきます(それでも1800文字、スミマセン)。12月4日。
「川一面が真っ黒になるくらい鮎がおったんじゃ」「吉野川の真ん中にツレと二人で立って、足に当たる鮎を素手で獲るだけで、ドンゴロスいっぱい獲れたわ~」。50年前の吉野川下流域の様子。僕らもそんな川で潜って、魚獲って遊びたい。川で遊んで川好きになった僕らが、もっと川を面白くするためになんかやろやー」「川の専門家と一緒に、安全に暮らせてもっと面白く遊べる川にする方法を考えー」。
若い人たち4人の川ガキからの報告。まずは全体をまとめる塩崎健太(ぺぺさん)が、「もっとおもろい吉野川へ」と川遊びから始めよう!と呼びかける。会場には子育て中のお母さん、お父さんも遠慮せずに参加できる場をしつらえ、子どもたちが「ペペさーん」とよびかける。いいですね、この会場の雰囲気。姫路で生まれ育ち、吉野川の「お堰の家」の主として、この人なしに吉野川と皆さんのつながりは維持できていません。
水中写真家の庄野耕生さんが、水中写真を披露しながら、その写真はそのまま「吉野川ミュージアム」をつくって川の魅力発信となりそうです。自ら自伐林業家として、タケノコを育てながら「阿波たけのこ農園―筍姫」と名付け、林業をすすめている姿を見せてくださる。川塾卒業生の岡村潮さんは、今、関西の大学で学びながら、吉野川で遊んだ「川と人をつなぐ原体験」に魅せられ、「川は自分の居場所だった」と思いおこしながら、流域治水への発想を育てていく。
最後は新居拓也。川塾の一期生として、カヌーイストの野田知佑さんに弟子入りしてユーコン川のカヌーツアーを三度も経験。世界の川にふれながら、川水を飲み、そして発見したのは自分が産まれ育った川の水が最もおいしいということ。暮らしと自然をつなぐそれは「遊び」であると深く自覚し、川の楽しさを体感するために地元水でビールをつくり、川のパドルを漕ぐようにビールを熟成し、お気にいりの河原で自分がつくったビールを飲む!
振り返ってみると吉野川の河口部に「可動堰」ダムをつくるという1990年代中頃から国土交通省によってすすめられてきた公共事業に対して、姫野雅義さんたちが静かにゆっくり異議申したてをして、2010年3月の民主党政権の時に当時の前原国土交通大臣が「建設はしない」と宣言。しかし河川整備計画に計画は残っていて、いつ復活するかわかりません。それが今の吉野川です。前原さんと新しい国政政党「教育無償化を実現する会」をつくる、と11月30日に宣言をして、その直後に吉野川で前原元国土交通大臣の足跡を確認できてうれしかったです。
そんな時代の変化の中で、2014年に滋賀県からはじまった「流域治水」の政策と哲学を、吉野川でも取り入れていきたい、と今回のシンポジウムになりました。国も2020年から流域治水の方針をだしています。しかし、本来の流域治水はどういうものか、「遠い水」から「近い水」へと私が講演をさせていただき、同時に大熊孝さんが「国家の自然観」たる近代的ダムに対して「民衆の自然観」に根ざした伝統的な川とのつきあい方を提示しました。
江戸時代から当時の農民たちがつくってきた「第十堰」を維持管理して活用したら、巨大近代的ダムは不要だと主張し、自然と共存する水利用や治水対策を次世代に残すという方針をつらぬいた姫野雅義さんは2010年10月にアユ釣りをしていて帰らぬ人になってしまいました。野田知佑さんも2022年3月に亡くなりました。お二人に、この若い人たちの姿をみてほしい、としみじみと思いました。