連休の11月3日の「彦根城お城祭り」と4日の「滋賀大学創立100周年記念事業」に泊まりがけで参加をさせていただきました。改めて、大津市ではなく、彦根市に滋賀県庁があれば、滋賀県民は、古代律令時代の水田文化から近世の城郭文化や近江商人道、そして近代の繊維産業など、その歴史文化の深さと雄大な琵琶湖の自然の魅力に根差した中心性を担保できて、県民アイデンティティももっともっと深くなっていたのではないだろうかと、かつてからの個人的思いが一層高まった連休前半でした。11月4日。(また長いです)。
歴史に「もしも」は不要かもしれませんが、「どこから来ましたか?」という問いに「京都の近くから」とこたえる滋賀県民のなんと多いことか?!この「京都コンプレックス」を少しでも緩和したいと、私自身研究者時代には琵琶湖博物館を企画・開館し、知事時代にも「おいしが・うれしが」など、京野菜として売られている野菜を「近江野菜」と名付け、「宇治茶」を本来の生産地である「近江茶」として地域ブランド化を進めてきました。
彦根市が県庁所在地にならなかった理由は、歴史文書など探索していませんが、彦根市は井伊家という大藩の膝元であり、明治新政府に遺恨を持つ者も報告されていて治安の問題から敬遠されたと言われています。また大津は古代天智天皇によって大津京が置かれた皇室由来の土地でもあり、大津に県庁が置かれたと言われています。
滋賀大学創立100周年は、大正13年、1923年に当時国として全国に10ヶ所の高等商学校をつくりそのうちの一つということですが、これまでに3万6000人の、銀行をはじめ各種企業のトップ経営者をたくさん輩出しておられます。その一つの証拠が、同窓会である陵水会が中心となった今回の100周年記念事業には2億円を超える個人、企業寄付が集まったということです。100周年イベントのグッズも豊富で、その力の入れようがわかります。
記念式典、祝賀会の圧巻は、大正13年生まれ、今年100歳の千玄室さんの講演でした。毅然と立ったままで1時間余り、特に戦争期、学徒動員で海軍に招集され、特攻隊の一員として、出撃の仲間と交わしてきた語りには涙を禁じえませんでした。朝4時に起きて、座禅を組み、祈りを捧げ、文字は自ら書き、パソコンは使わない。夕方7時以降は食事をせず、寝床につく、という健康的な暮らしぶりということ。