Facebook 2023年11月5日 湖北アーカイブ研究所所長の吉田一郎さんの写真、文章による『畔(はん)の木の詩』、出版記念会・展示会

湖北アーカイブ研究所所長の吉田一郎さんの写真、文章による『畔(はん)の木の詩』、出版記念会・展示会が長浜市であり、東京から急ぎ帰って、お祝いの言葉を述べさせていただきました。湖北の水田文化の記憶を記録化した見事な写真集です。長浜文芸会館、滋賀県立美術館などで、来年1月まで各地で展示会も開かれます。写真集はすでに完成、今すぐに手にとっていただけます。下記のアドレスからアクセスください。11月2日。(記録は3日)。
挨拶では吉田一郎さんとの出会いから紹介させていただきました。1981年、琵琶湖研究所の社会学職員に採用してもらい、琵琶湖と周辺の生活的つながりを研究する手始めに滋賀県内の生活古写真を集め始めました。そこで出会ったのが『長浜百年』の写真集です。中の写真はもちろん、その表紙が長浜特産のビロード製です。市役所職員で、市役所の仕事で、ここまでこだわりの作品を残す人はどんな人なのか?担当者とあった「吉田一郎」さんを長浜市役所に訪問しました。そこで、写真整理だけでなく、自ら写真も写していることを知りました。
その頃から写していたのが、昨年出版した『地図から消えた村』の、高時川流域の大雪や丹生ダム建設計画により離村を余儀なくされた7つの集落の生活写真でした。今回の畔の木写真もその頃から撮り貯めておられました。
吉田さんとの次の出会いは、1985年以降です。1984年に世界湖沼会議が開かれ、琵琶湖の古代湖としての歴史や生物多様性、縄文・弥生時代からの人間文化の歴史、最近の環境破壊に関する歴史を伝えたいと琵琶湖博物館の企画を始めました。そこで昭和の時代変化が、大事な展示表現領域になると決めて、「つい最近の暮らしの変化」の聞き取り調査を始めました。そこで町の暮らしの変化として選んだのが長浜でした。当時長浜市役所には、吉田企画課長と三山広報課長が本気のまちづくりに挑戦し、「白い教会を黒壁に!」「御堂前のアーケイドの屋根を外して」と当時としては度肝を抜くような企画を進めていました!私たちもちろん、大応援団でした!
その頃、長浜からの発信メディアを自前で作ろうと「みーな」の企画会議も始まりました。そこでも吉田さん、三山さん、また長浜市立図書館の中島千恵子艦長も推進仲間でした。
『畔(はん)の木の詩』の光景は、水田の圃場整備によりほとんどうしなわれたが、私は挨拶の中で、「石油文明の反省が地球温暖化という災害をもたらしている今、吉田さんが写している水田の風景は未来を提示しているのかもしれない」と締めくくらせてもらいました。
皆さま、ぜひ写真集と写真展を。大学関係者のみなさん、ぜひ図書館に!
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