その頃から写していたのが、昨年出版した『地図から消えた村』の、高時川流域の大雪や丹生ダム建設計画により離村を余儀なくされた7つの集落の生活写真でした。今回の畔の木写真もその頃から撮り貯めておられました。
吉田さんとの次の出会いは、1985年以降です。1984年に世界湖沼会議が開かれ、琵琶湖の古代湖としての歴史や生物多様性、縄文・弥生時代からの人間文化の歴史、最近の環境破壊に関する歴史を伝えたいと琵琶湖博物館の企画を始めました。そこで昭和の時代変化が、大事な展示表現領域になると決めて、「つい最近の暮らしの変化」の聞き取り調査を始めました。そこで町の暮らしの変化として選んだのが長浜でした。当時長浜市役所には、吉田企画課長と三山広報課長が本気のまちづくりに挑戦し、「白い教会を黒壁に!」「御堂前のアーケイドの屋根を外して」と当時としては度肝を抜くような企画を進めていました!私たちもちろん、大応援団でした!
その頃、長浜からの発信メディアを自前で作ろうと「みーな」の企画会議も始まりました。そこでも吉田さん、三山さん、また長浜市立図書館の中島千恵子艦長も推進仲間でした。
皆さま、ぜひ写真集と写真展を。大学関係者のみなさん、ぜひ図書館に!