Facebook 2023年8月2日 愛知県豊川の霞堤地域に水害被害調査に伺いました。

愛知県豊川の霞堤地域に水害被害調査に伺いました。「6月2日―3日の台風2号およびそれに伴う前線による大雨」で霞堤地区(連続する堤防ではなく、あらかじめ切れ目をいれた不連続の堤防)で480ヘクタール以上の浸水被害があった愛知県豊川市豊川流域です。「流域治水」を考える時に霞提の役割が重要なので、今回は滋賀県立大学教授の瀧健太郎さんや学生さんなど5名で、中部地方整備局豊橋河川事務所の中野治副所長さんたちに案内いただきました。霞堤地区の農地や宅地の浸水については、また追加の被害調査が必要です。まずは今回の概要紹介です。8月2日。(また長いです、2100文字)。
豊川下流部には昭和30年代まで9つの霞堤がありました。豊川の霞堤は、江戸時代元禄期にその原初形態が造られ、その後次々に増えて、昭和中期には九カ所(右岸五、左岸四)あったということです。最初の地図をみていただくと、9つの霞堤が上流から下流にあります。赤色が5つで、黄色が4つです。右岸(下流にむいて右側)には、1の東上霞、6の二葉霞、7の三上霞、8の当古(とうご)霞、9の大村霞の5つです。左岸には4つです。霞堤で浸水する地域も都市化し、ふさいでほしいという要望が高まり、昭和40年に豊川放水路が完成した時に、右岸の5つの霞堤は開口部(差し口)を締め切りました。しかし左岸にある4つ、上流から2の金沢霞、3の賀茂霞、4の下条(げじょう)霞、5の牛川霞は開口部をその後も残していました。
豊橋河川事務所の副所長さんたちのご案内で、豊川本川と霞堤防の位置関係が見えやすい、ということで豊橋市役所の最上階で概要を伺いました。市役所からはすぐ足元には吉田城を守る牛川霞が見えます。ちょうど朝倉川が豊川に流れ込むところです。20年ほど前、朝倉川には生き物もたくさんいて、住民の河川愛護活動も盛んで、「川の日ワークショップ(現:全国いい川・いい川づくりワークショップ)」がひらかれ訪問したことがあります。地形図をあわせてみると、朝倉川が河岸段丘沿いに湧水などを伴いながら流れを集め、豊川に注いでいるようです。
地形図全体と豊川の流れをみると、いかに豊川がひろく蛇行してきた川であるかがわかります。その蛇行にあわせて、9つの霞堤ができてきたこともよくわかります。明治時代にできた飯田線は愛知県と長野県をむすぶ幹線鉄道ですが、しっかり河岸段丘上を走っています。また豊川稲荷も行ってみましたが、さすが河岸段丘上にあり、浸水被害をうけません。昔の人たちは河川の力を抑えきれず、霞堤のように、洪水を受け止め、いなして農地などに洪水を引き込み、人が暮らす中心部の被害を少なくする土地利用の工夫をしていたことがよくわかります。
河川事務所の皆さんに上流部の大村霞をふさいだ地点や、賀茂霞の切れ目を案内いただきました。今回も浸水面積が480haにもなり、農地の浸水だけでなく、住宅や作業小屋の床下浸水などもあったようです。それから下条霞内の農道が冠水し、そこに向かってしまった車の中で溺死されたという被害もありました。霞堤防の中の道路は地元でもよく知られているので通行止めにしていたようですが、地域外の方まで十分周知するのが難しかったようです。地域外から仕事などで来られる方々、旅行者の方々の自然災害に対する安全についても、政治・行政でも取り上げて今後の対応を充実させる必要もありそうです。
昨年8月5日の滋賀県高時川の霞堤の浸水で、11haの農地が浸水してしまった横田農園さんは、「下流を守る機能は大事だが、それで自分たちの被害が救済されないのは困る」と言っておられます。今回、一緒に行ってくれた滋賀県立大学の瀧健太郎さんも、「霞堤は堤防の決壊を防ぎ、流域全体を守る点で優れているが、浸水する当事者への社会の支援も必要だ。歴史的な経緯や利点・欠点を各地でよく話し合い、対応を検討すべきだろう」と話しています。
昨年8月の高時川の洪水を受けて、私自身も国の国土交通委員会などで、農業被害の完全救済を、国土交通省や農林水産省と交渉しましたが、まだまだ結論がでていません。国交省としては、霞堤は浸水区域を確定できないので、本来の補助対象である「貯留機能保全区域の指定」が難しいということ、また、農水省では農業共済では税金を半分いれて農業者支援をしているが、医療費などと同様に全額負担にするのは難しく、少なくとも1割の自己負担は求めざるを得ないということ。
一般に、浸水被害の多い集落では、家屋を嵩上げしたり、周囲を生垣で囲んで浸水に伴う土砂や流木、ゴミの流入を防いだりと様々な工夫がなされます。家の内部についても、一階はピロティなどにして、家財をすぐ二階へ運べるような設備(吊り上げ仏壇等)を設けるとともに、最終的な避難のために、昔は軒下には小舟が吊るされていたとのことです。ただ、それぞれの霞堤地域の中での嵩上げの実態や周囲の生垣囲いなど、今回は時間不足で十分には調べきれませんでした。次の機会に聴き取りに行かせていただきます。豊川稲荷には昼食がてらお参りに行かせていただきました。稲荷ずしの発祥の地の伝説も?
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