琵琶湖の親郷と言われてきた「堅田」を「湖族の郷」として歴史的街づくりを盛り上げてこられた細川源太郎さんが92歳の人生を閉じられました。2023年6月9日です。7月8日にはお別れ会が大津市北部地域文化センターで開かれました。300名をこえる方たちが細川さんにお別れにこられました。私にとっても、まさに「琵琶湖のお父さん」のような存在でした。埼玉県生まれで、中学校の修学旅行でびわ湖と比叡山に出逢い、びわ湖をわが故郷にと琵琶湖研究所から琵琶湖博物館づくりに精魂を注いで来ましたが、昔の琵琶湖を知りません。昭和5年、堅田で生まれ、人生のすべてを堅田で過ごされ、昭和58年以降は大津市市議会議員として6期24年間、大津市政に大きな足跡を残された細川源太郎さんはまさに「琵琶湖・堅田の生き字引き」のようなお方でした。お別れ会の祭壇の細川源太郎さんのお顔はやさしく慈愛に満ちておられました。心からご冥福をお祈りいたします・・・合掌。7月10日。また長いです(2000文字)。
すでに大津市議会議員として6期目にはいり、議長も経験しておられ、また自民党党籍もある議員さんでした。しかし、なぜ嘉田由紀子と小坂育子が滋賀県知事選挙に挑戦するのか、「公共事業の見直し」「子育て支援」「琵琶湖の環境保全」などへの思いを「もったいない」という合言葉で熱く語らせていただき、かなり共感をしていただきました。当時、自民党は現職推薦ですから表むきは動けないということでした。2006年7月2日の知事選挙で現職を破って当選させていただいた後もいろいろそれまでのご経験を教えていただきました。
また細川さんは堅田の歴史、文化を徹底的に自分のものとして、たとえば松尾芭蕉の「十六夜日記」にちなんで、中秋の名月の翌日の十六夜日に、琵琶湖畔でまさに十六夜の月を愛でながら「十六夜シンポジウム」という講演会も毎年企画しておられました。2015年頃だったと思いますが、「琵琶湖の環境と文化」についての講演を十六夜シンポジウムでさせていただいたこともありました。
そして最後の食事会になってしまったのは、昨年2022年12月26日、堅田の江戸時代からの老舗、魚清楼さんでの、鴨鍋とホンモロコの炭火焼の夕食会でした。その時、堅田での名物落雁の和三盆の和菓子をつくっていた7代目のお菓子屋さんを自分が継承できなかったことを、淋しい思いとともに詳しく語って下さいました。昭和5年生まれの自分が小学校2年の時にお父さんが中国で戦死。おじいちゃんもあいついで亡くなり、そして戦後のインフレの預金閉鎖で資金もなくなり、落雁の和菓子づくりの伝統を受け継げなかったと。そうか!「堅田の落雁」の和菓子は細川家が元祖だったのだ!新しい発見です。この時、滋賀県議選挙の出馬予定の野田武宏さんも細川さんに挨拶にきてくれました。
自分の家の伝統を受け継げなかった思いとともに、地域政治家としての市議会議員としての後継を次男の力男さんが次いでくださる決意をなさり、2023年4月23日の大津市市議会議員選挙で上位当選を果たしました。その当選祝いの万歳三唱場面に車椅子でこられ、涙を流しておられたというお姿は皆さんから伺いました。私は我が息子が同じ選挙だったので、こっそり力男さんに為書を届けさせていただきながら、万歳場面にはご一緒できませんでした(微笑)。
堅田の地域の歴史と文化を大津市政につないでいく、その跡取りとして細川力男さんが市議会議員として受け継がれていくこと、何よりも大きな安堵だったと思います。細川源太郎さん…今頃、天国で小坂育子さんと出会って、またいろいろ新しい企てを語り合っているのではないでしょうか・・・・先人の皆さまの琵琶湖と滋賀への思いを受け継ぎ、命の続くかぎり、私もがんばります・・・合掌。