琵琶湖と滋賀県をこよなく愛する世界的映像作家、切り絵作家、そして昆虫写真家、今は、環境農家・・・多彩なアーティストが今森光彦さんです。昭和29年(1954年)大津市の琵琶湖岸尾花川生まれでもうすぐ70歳。その今森光彦さんが琵琶湖と人びとのかかわりの総体を「里山=SATOYAMA」と名付け、公表をはじめたのが1992年頃。私自身はその数年前1988年頃に、『今森昆虫記』(1989年)の出版に使う滋賀県地図がないかと当時の琵琶湖研究所を今森さんが訪問して下さった時以来の長いながいおつきあいです。うちの息子たちも今森さんの影響でタガメを象徴とする昆虫学にはまりました!今は孫がファンです。1990年代の琵琶湖博物館の企画構想の時も今森さんにいろいろヒントをいただき、企画の上での恩人でもあります。今日、7月8日から滋賀県立美術館ではじまった「今森光彦 里山 水の匂いのするところ」展示会を、7月7日の内覧会をみた感想からご紹介します。9月18日までの夏休み企画です。お子さん、お孫さんたちを是非連れていってください!また長いです(2200文字、長いです、すみません)。7月8日。
最初の挨拶で保坂健二朗館長と今森光彦さんのトークで、保坂さんが「県立施設として今森さんの展示会を開催するのは、1996年の琵琶湖博物館の開館記念展示での「里山」以来、二度目!」と言っておられ驚きました。あれだけ県外、民間、海外でも展示してきた今森さんには申し訳ない「おまたせ」展示会です。それで思いだしました。長い準備期間をへて琵琶湖博物館がいよいよ開館直前となった1995年、開館記念展示は今森里山展をしたいと提案した時、当時の滋賀県写真連盟等から「郷土生まれの写真家はたくさんいる。なぜ今森なのか説明せよ!」と問われました。それで木村伊兵衛写真賞等をもらっていて、郷土出身写真家というより、すでに『里山』の見事な写真集も完成していると説明しました。いろいろ抵抗を越えて、ようやく当時の高井八良教育長への予算説明時「今森さんは別格や!」と展示会をトップとして決定下さいました。今はもう明かしていいでしょうか。歴史秘話です(微笑)。
今回の展示会を「里山 水の匂いのするところ」と名付けた原点となる今森さんの詩があります。まずは紹介します。
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水は山々の頂の襞(ひだ)から始まる。
沢を下る水は、旅人のように自然に身を任せ
英知を養う。
コケを伝わって集まり、
小さな音をたてて渓流となる。
水は、ときには本流からそれて
田んぼや集落に寄り道をする。
それも旅人の特権。
細い溝や水路を通って、
土の匂いをしみ込ませ、人々の声を記憶する。
旅人は、そのあと巨大な渦の中に
埋没してしまうのか。
いや、粒子となって舞い上がり、
峰々に帰るという新たな旅立ちが待っている。
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今森さんの琵琶湖写真展示に「水の匂い」をキーワードにした学芸員の芦高郁子さんの視点は、今回の企画展示での魂の表現です。今森さんの人生は、まさに琵琶湖岸の大津市尾花川の田んぼと小さな森に囲まれて育った子ども時代の原風景から始まっています。学校からかえったらランドセルをほおって田んぼに魚つかみに手かけた子ども時代。そして圧巻は、湖西針江の漁師田中三五郎さんの写真集、『おじいちゃんは水のにおいがした』。その匂いとは「いろいろな生きものとともに自分も生かされているという喜びに満ちあふれた、生きた水」です。田中三五郎さんの家のわき水の台所、「かばた」が象徴ですが、その水は、最初の今森さんの詩のように、山やまの襞から始まり、旅人のように下ってきた水が本流からそれて寄り道をしている水の姿でもあります。
企画展示は次の6章から構成されています。
・第1章「はじまりの場所」ではトチノキの巨木の元でトチの実を拾う女性の姿からはじまる。沢を下り、ビワマスの遡上に出逢い、川原仏に癒される。
・第4章は「湖辺の暮らし」田中三五郎さんのおかずとりの小さな漁業にこめられた魚とのやりとり、カバタに冷やされるスイカときゅうり。針江ずくしです。
・第5章は「くゆるヨシ原」。近江八幡のヨシ原は、春先のヨシ焼から芽吹き、そして成長したヨシ刈りのあと、丸建ての乾燥風景が雪中で美しい。
・第6章の「還えるところ」として、湖西の山頂部から蒸気になって天にもどる。湖岸の荒波に翅をやすめるメガネサナエの姿は、今森さんならではの緊張の瞬間。
今森さんご本人によるギャラリーツアーが7月16日(日)、9月17日(日)、また切り絵ワークショップが8月15日(火)にあります。お早目に申し込みを!
県立美術館の保坂健二朗館長、担当の芦高郁子学芸員さんはじめ皆さん、ご苦労さまでした!!