3年前の7月4日、50名の溺死者を出した熊本県球磨川沿いの八代市、球磨村、人吉市に、今年も7月4日の三周忌をはさんで訪問しました。溺死をされた方の住宅や施設は全体として空き地化が進んでいて、公的な災害復旧事業は進んでいますが、人びとの暮らしの場はますます空洞化している感じです。50名の溺死者の住宅地・施設のうち、建て替えができて親族が居住し続けているのは3戸、全く新しい集合住宅に建て替わっているのが1戸、つまり4戸以外の46人の居住敷地は空き地のままです。訪問は、八代市のつる詳子さん、人吉市の木本雅己さんに協力いただきました。少し長くなりますが報告させていただきます。7月7日。(2000文字、写真も多いです、すみません)
振り返ってまとめてみますと、50名の溺死者のうち88%は65歳以上の高齢者です。50名のうち8名は避難途中や通勤途中の道路で流されています。住宅状況を見てみますと、42名のうち30名は平屋で自宅や施設内で溺死しています。二階屋での一階での溺死者は5名、2階屋で家毎流出し死亡した方が5名、2階屋で2階での溺死者が2名となっています。溺死の場合、平屋のリスクが特に高いことがわかります。というのも日本全国の数値で、平屋は7.5%でしかないのに、溺死した人の平屋率は60%となっています。
2014年3月に日本ではじめて制定した「滋賀県流域治水推進条例」に、地域毎の最悪の洪水時に3メートル以上浸水して避難の逃げ場のない住宅については新たな建築許可をださないという条項を設けました。議会等では反対意見が多かったのですが、担当職員と相談しながら知事として政治生命をかけてこの条例制定をすすめました。今から思うと、平屋での溺死リスクを下げるための方策を条例に盛り込んだことは正解だったと思えます。
球磨川沿いの溺死者の家族状況は、高齢者の一人住まいか二人住まいが多かったです。隣近所からの避難呼びかけに応じない人もおられました。また現場聴き取りで見えてきた大事な点は、巻き込まれた洪水は、必ずしも球磨川本流からの水ではなく、山間部からの支流や小さな農業用水路の場合が多くなっているということです。渓谷に囲まれた八代市坂本、球磨村の各地域では、7月4日の早朝から山崩れや山水で球磨川本流が急激に水位上昇し、溺死は午前7時―8時の間に起きています。
また人吉市内でも、万江川や山田川の氾濫の時間が早朝6時―7時で、その水にまきこまれて亡くなった人が多いということも、聴き取りでわかりました。例えばIさんという方が亡くなったのはたった30センチほどの道路わきの側溝からの流水です。その住宅横の側溝水路は、もともとその地域が水田だった昭和50年代までの農業用水路であり、その水源は江戸時代に相良藩が張り巡らした御溝という伝統的な農業用水路だったこともわかりました。この農業用水路の取水口は人吉市街の掘り込み河川となっている球磨川からではなく、人吉市の上流の山江村の万江川から取水されているものです。
2020年7月4日の早朝、6時半に万江川が溢れ、御溝川の取り入れ口も溢れているという動画を、その場に住まわれる松本佳久さんが撮影してくださいました。水の出方を証明する貴重なデータとなりました。この山間部や支川の水が先に出た、ということを国土交通省は公に認めにくいようですが、2023年の通常国会に支川のデータ収集と一級河川管理の国と二級河川管理の県のデータ共有を図るよう法案化してきました。国も本川だけでは命は守れない、支川が大事と認め始めたようです。本川上流部でのダム建設効果の限界を意味しています。これこそが本来の流域治水です。
球磨川50名溺死者の皆さんの死を無駄にしないためにも、きめ細やかな流域治水の必要性を訴え続けていきたいと新たな決断をしています。皆さんのお住まい近くのハザードマップ(地先の安全度マップ)を確認して、水害被害回避にそなえていただきますようお願いいたします。
暗いことばかり申し上げましたが、希望の動きも出ております。人吉旅館の女将さんを訪問しましたが、3年経ってすっかり再生の流れもできて、今は温泉源の改良をすすめておられるということです。山林破壊の厳しさはつる詳子さんが繰り返し訴えてこられましたが、山江村の内山慶治村長さんが、「鎮山親水」という方向を目指して、自伐型林業塾を応援しはじめたようです。森林所有者と自伐型林業の技術と思いを活かしたい若い人たちとの連携ができること期待したいです。松本佳久さんも森林所有者として協力して下さるということです。