Facebook 2023年6月10日 長浜市の「奥びわ湖・山門水源の森」のササユリ訪問に小松明美さんと行ってきました。

6月10日午前、 梅雨の合間をぬって、明日の彦根の「第5回のびわ湖音楽祭」準備の合間をぬって、長浜市の「奥びわ湖・山門水源の森」のササユリ訪問に小松明美さんと行ってきました。森の中にそそと咲く可憐な1本立ちササユリ、ひなたの斜面に天をめざして群落をなして咲くササユリたち、そしてコアジサイの群落内でも咲き誇るササユリたち・・・純白から淡いピンク、そして濃いピンクと、色もにぎやかです。滋賀県内外から30名以上が集まり、藤本秀弘さん、村田良文さん、浅井正彦さん、富岡昭さん、熊谷定義さんたちにご案内いただきました。皆さんお世話になりました。ありがとうございました。(また長いです、1200文字)
今日、こうして私たちが自然に咲くササユリの姿を楽しませていただくことができたのは、決して自然ではないこと、そこにいかに多くの人びとの30年以上にわかるご努力があったか、改めて学ばせていただいた訪問でした。昨年10月10日に出版された『奥びわ湖・山門湿原の森:生物多様性の保全の20年』(ペリカン社)にその経緯が詳しく記されていますので、エッセンスだけ抜き出して紹介します。
もともとこの場所は長浜市旧西浅井町山門集落の共有林で、炭焼きなどに使われていました。燃料革命の中でスギ・ヒノキの植林が進み、その後ゴルフ場開発の動きもありながら、1991年に「山門湿原研究グループ」が開発中止を求めて、西浅井町や滋賀県に保全を要望。というのはミツガシワを象徴とする貴重な湿原であったからです。その動きを受け1996年(稲葉稔知事時代)にこの地域一帯を滋賀県が買い上げて県有地化。1999年には「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」が設立され、協議会やシンポジウムでその価値を内外に発信をはじめました。
もともと炭焼きや山仕事で人が森にはいっていた時代、人が適度に刈り込んだ半日陰の環境を好んでササユリは何気なく咲いていたということ。ところが炭焼きもやらなくなり暗い森になってササユリが消えていった。そこに1990年代以降、「山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会」の人たちが下草刈などをするとササユリが増え、森のシンボルのようになっていった。
ところが2006年に開花直前のササユリのつぼみを大量にシカに食べられてしまったという。その被害から、金網を貼り、フェンスをつくり、工夫をしながら守りぬいてきた15年。そもそもササユリは種が芽吹いてから花が咲くまでに6-7年かかるということ。そして花が咲いても数年でその株は絶えてしまう、ということ。この間の長いながい苦労のお話を藤本さんに伺いながらの訪問でした。大津祭りの車輪に活用するアカガシも40本ほど、育成されているということ(100年度の活用をめざして)、・・・まさに生物いっぱいの山門湿原の訪問、楽しかったです。写真を主に紹介します。さて、これから彦根行き、あすのびわ湖音楽祭の準備です。ではまた明日には、びわ湖音楽祭の紹介をさせていただきます。
先頭に戻る